嘘 本当に対する言葉の責任(一部省略及び検閲)

目の前を通った親子の、年端もいかない、おそらく娘は、体のラインがしっかりと出る、肘の部分にカットの入った服を着ていた。一瞬だけ情欲のこもった目でその背中を追いかけた自分に気づいた私は慌てて目を伏せる。今日買う予定だったものはゴミ袋で、それは部屋を模様替えしてあらかたのものを捨てようとしたからだ。「ミニマリストな暮らしぶりだね」とドイツ語。オンライン会議中に言われた私は「強制的にね(zwangsweise)、ミニマルに暮らさないといけないんだよ、お金がなくてね」と笑うことにする。強制的な成り行きで、(添削されたところによると、それはzwangsläufigのほうが適切だ)ミニマルな暮らしをしている私。がらんとした住居の中、慌てて詰め込んだ家具や物の節々には、隠しきれなかった「強制的」が溢れ出している。そんな見窄らしさを剥ぎ取るため、ミニマル以下の暮らしをしようとした私、とりあえずのこと、余分にある食器を捨てることにした。引っ越しをしたのは去年の春のことで、幾人かの同僚にいらなくなった皿やコップを譲り受けた。お互いを知らない皿、そしてコップ。行き場のない食器たちと私は並んでいて、机のない台所に座り込み飯を食う。こんなウルトラミニマリズムの暮らしはもうごめんだと、散らかったキッチンルームでパスタをすすりながら考えていた。

(一部省略。ある団体で文学フリマに向けた刊行物を計画しているため、省略部分は推古された上で紙面にて収録される。)

話すことは無防備だ。話すことは鎧を一つ脱ぐことみたいだ。わたしとあなたの間の発話、その空白、そこに要求される誠実さ。ゆえにわたしは、強く言葉を鍛えねばならない。話法とはまた別の防具でもあり、また剣でもある。私はそれがとても嫌いだ。

(省略。馬場康太は馬場康太の不誠実さについて書いている。誠実に生きることも、誠実さを示されることも馬場康太は大嫌いだ。)

今日行う予定だったもうひとつのことは手紙を出すことで、午後7時半、カフェに座ってカバンをほじくり返した私は、掘り起こされた、切手の貼られていない封筒をぼうぜんと眺めていた。ゴミ袋をかうこと、手紙を出すこと、そのどちらもが私の権能を溢れ出していた。そして私はカフェに座っている。(省略。うちなる検閲官はこれをインターネットに記載することを許さなかった。)幸せだろうか。

(検閲済)

書くことはいい。その試みの中、私は私のうちなる編集者とともに言葉を推古することができる。そして、私の中には内なる検閲官も待機していて(検閲官は検閲の存在も、検閲官自身の存在も、明示を許可している)、いつでも私の刊行物を私の中で差し押さえにやってくる、そんな発刊前。それでも私は、私の中の私以外、その全てを殺すことができる。書くことは私に、  (検閲済)  を啓示する。それがものがなしい。それがものがたり。誠実に話せないわたしは、それでも書かずにはいられない。私は本当のことを書いたことがない。それでも、わたしが書き、あなたに読まれるとき、それはいつでも本当だ。「アリストテレスの京都観光」あなたにとってそれは嘘だ。それでもわたしもあなたも、足元を気にしながら二年坂を登るマケドニアの哲学者を想像する(階段とはなぜあるのだろう。人を最も傷つけるものは階段だ。階段は人の足を絡め取り、人を引きづり下ろし、人を地にしたたかに打ち付ける)。抹茶の苦さに顔を顰めた後、哲学者は茶碗を眺め、その底の職人の刻印を目にする(哲学者は職人を友人として見ているが、職人は哲学者など眼中にない)。茶わん坂を行く彼は緑の泥水が入っていた器を思い出しながら陶器店を眺め、エネルゲイアの生成に思いを馳せる(土は可能態なのだろうか)。これは嘘だが、本当のことでもある。書くことで私は、  (検閲済み)  という当たり前にぶち当たる。

(省略。刊行物はいつかの文学フリマにて発表されるらしい。)

私は今、誠実さを嫌う。予測変換と非文でしゃべっているわたしにとって、本当は本文中には存在しない。あなたが読むことは全てが嘘だ。それでもいいと私は思っている。それでも、貴方にとって、これが本当でありますように


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