見出し画像

【読書感想】柳生十兵衛と千葉真一 二人の武人が現代に伝える真理

こんにちは。
佐野太基です。

今回の記事はボクがお世話になっている、新陰流協会 小山将生さんの著書、『柳生十兵衛と千葉真一 二人の武人が現代に伝える心理』という本の紹介と感想です。

本の内容

タイトルの通り、江戸時代の剣豪、柳生十兵衛にまつわる数々のエピソードと数々の作品で柳生十兵衛を演じた千葉真一さんがいかに柳生十兵衛と向き合い、演じたのかの話を主軸に新陰流という流派の技の紹介、千葉真一さんと柳生あばれ旅で千葉真一さんとW主演を務めた勝野洋さんのインタビューなどが掲載されております。

今回は役者として生きている者として、また新陰流を学んでいる者として柳生十兵衛と千葉真一さんについて語りたいと思います。


柳生十兵衛という男

柳生十兵衛という人物について、皆さんはどんな言葉が思い浮かぶでしょうか?
「剣豪」「眼帯」「隻眼」「剣の天才」「とにかく強い人」「歴史上の人物」…概ね、このような言葉が出てくるような気がします。

映画やドラマだけではなく、ゲームや漫画、小説、アニメなど多くの媒体で柳生十兵衛という人物を目にする機会は少なくないでしょう。

ボクが始めに柳生十兵衛という人物を知ったきっかけは覚えていないのですが、「剣の天才で好戦的で自由人」というイメージが根付いていました。

現に、十兵衛は徳川三代将軍・家光の怒りを買い、許さるまでの12年間、諸国を巡り修行をしたと伝えられています。

そういった、言い伝えからもボクの中に根付いていた十兵衛のイメージもまんざわ間違いではなく、そういった描かれ方をした作品に触れていたのかもしれません。

しかし、この本を読み、柳生十兵衛という人物のイメージは覆りました。

一言で言えば、柳生十兵衛は究極の平和主義者

剣を学ぶことは、己の強さを誇示することでも、権力に取り入りしがみつくことでもない。

例え、刃を相手に向けられ、相手に向けようとも自分も含めた全ての命を尊重し、慈しむ
その信念の下、無闇に傷つけることなく相手を制する。

十兵衛が目指した、剣の道とそのような道なのだと、ボクは感じました。


役者・千葉真一

そんな柳生十兵衛という人物に惹かれたのが、千葉真一さん。
本の前半に千葉さんの柳生十兵衛に対するインタビューが掲載されている。

千葉さんは、柳生十兵衛の役が来てから柳生十兵衛という人物の事を学び、彼に興味を持った訳ではない。

武士道への興味から、柳生十兵衛という人物に出会い
「時代劇で真のサムライを演じたい、その上で柳生十兵衛をぜひ演じたい」という思いから、ご自身で柳生十兵衛を主人公にした映画の企画書を書き上げ、名作『柳生一族の陰謀』(1978年)が生まれた。

役者はいただいた仕事はどれもありがたく受けとめ、与えられた役を演じる。
それは当然のことですが、自分も含め多くの人が「こんな役を演じたい!」という思いから役者という道を歩き始めたと思います。

かくいうボクも時代劇に触れ「サムライになりたい!」という想いを捨てきれずに25歳という、この道を歩む者として遅めのスタートを切りました。

東京に来て5年。どこか現状に満足している自分がいました。
待っているだけでは自分の望みは叶わない。改めて自分を見つめ直し、やりたいことを形にして、誰かに伝える努力を怠らない。

ボクは千葉真一さんとはお会いすることは叶いませんでした。
それでも、この本を読み
「待ってるだけではダメだ!本当に自分がやりたいことは何だ?その為にお前は動いているのか?叶わない未来を想像して不安になる時間があるなら動け!とにかく動け!」
千葉真一さんにそう言われたような気がします。


自分を見つめる

自分がやりたい事が果たして上手くいくのか?
誰しもそんな想いを抱き不安になることも多いと思います。

ボク自身、演劇も剣術も原動力は「好きだから」という想い一つ。
それでも、実直に続けていれば、様々な御縁に恵まれることは実感済みです。

現代の日本では刀を腰に差して歩くことなどない。
しかし、危険や暴力が存在しないのかと言われれば、そんな事はない。
特に目立つのは言葉の暴力だ。そういう意味では、刀を腰に差した浪人が闊歩するよりもよっぽど危険な世の中に自分たちは生きているのかもとゾッとする。

そんな時代だからこそ、相手を傷つけないという信念の下に剣の道に生きた柳生十兵衛とそんな彼に惹かれ、役だけではなく自分の中に十兵衛という男の信念を落とし込もうとした千葉真一さんの生き方は、現代の我々に必要なことかもしれない。

十兵衛、もとい新陰流は「相手に勝つ」ことではなく「己に克つ」ことを重きを置いている。

それは、周囲の目線に囚われずに常に昨日の自分に今日の自分が克ち、明日の自分は更に超えていくことだ。

しかし、それは決して「自分以外どうでもいい」という意味ではない。

生まれた時からずっと存在している自分すら、昨日と今日では心身の状態は違う。
それは見方を変えれば、1日1日違う生き物として生きているようなものだ。

そんな自分自身すらわからないのだから、まして他人のことなどわかる筈がない。
同じく他人もその人自身のことがわからない。自分と何が違うというのだろうか。
そう考えれば、相手も自分と同じ不安や恐怖を抱えて生きているはず。であれば必要以上に怖がる必要もないではないか。


興味を持った方へ

今回の記事を読み、柳生十兵衛や新陰流、そして千葉真一さんに興味を持った方は是非、ご一読ください!

佐野太基でした。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?