マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』より

「急変する時代とは、ふたつの文化にまたがる時代であり、相剋する技術が併存するフロンティアのうえにある時代である。また時代意識とは、いついかなる時をとってみても、これら対峙するふたつの技術、ふたつの文化のうち一方を他のものに翻訳するときに芽生える意識である。今日われわれは五世紀間にわたって続いた機械装置の時代と新しい電子時代、そして均質性の強調と同時共存性が境を接する場所に住んでいる。これはわれわれにとってつらい経験でもあるが、また多くの実りをもたらしてくれる経験でもある。思えば、16世紀のルネッサンスは一方では二千年間続いたアルファベットと写本の時代が、他方では反復性と定量化の時代が踵を接するフロンティアであった。人間が旧い時代に獲得した視点でもって新しい時代に接近しなかったとしたら、むしろそのほうが不思議なくらいである。この事情は今日の心理学者たちによってよく理解されているところだ。たとえばジョン・A・マギオックの心理学ハンドブック『学習の心理』がそれだ。マギオックはいう。「新しい素材への反応、つまり学習のなかに見出される(現在の時点まで残留した)かつての学習の影響は伝統的に〈学習の転移〉と呼ばれてきた。」ところでほとんどの場合、転移効果はまったく意識にのぼらない。だが、明白なもしくは意識的な転移も起こりうる。われわれは本書の冒頭近くでこれらふたつの転移についてある程度検討したことがあった。それはアフリカの原住民のアルファベットと映画への反応を論じたときである。映画、ラジオ、テレビといった新しい媒体に対してわれわれ西欧人がおこなう反応は、これらを「挑戦」として受けとることのなかに現れる。これはまさに本の文化にふさわしい反応だ。だが実際の「学習の転移」、および思考プロセスや心理的態度における変化は、まったく意識下で発生したのだった。人間のことばであれ、ことば以外の象徴システムであれ、新しい言語を学ぶ際、われわれが母国語を通して獲得してきた感受性のシステムによって学習効果はたいへんな影響を受けるものと思われる。そしてこれがおそらく、なぜ印刷文化の線形的、均質的諸様式にとっぷりと浸った、高度に文字型文化的な西欧人が現代数学や物理学のような非視覚的な世界に手こずるかという理由なのだ。いわゆる「後進国」、つまり聴覚・視覚志向の国々のほうがこの領域ではむしろ有利なのである。」

マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成』森常治訳、みすず書房、1986年、216〜217ページ。

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