李舜志『ベルナール・スティグレールの哲学』より

「プラトン(ソクラテス)が『国家』で詩を批判したことはよく知られている。吟遊詩人たちが歌い継いできた音声表現である詩は、声の文化においてコミュニケーションの中核を担ってきた。たとえば古代ギリシャ人は教育を音楽(mousikē)と呼んでいた。というのも彼らは数学や詩や修辞学を、踊ったり手をたたいたり、声に出して歌ったりしながら練習したからである。それはイメージやリズムを活用し聴く者の感情に訴えることで情報を伝達する一方で、伝達を声に、保存を個人の記憶に頼っていたため、ごく限られた事件や行為した扱えなかった。
 他方、アルファベットは伝達される内容をひとつの「対象」として再検討したり再配列したりすることを可能にする。生徒は教えられた内容を何度も検討したり、それを他の情報と照合したりすることができるようになった。それによって共に歌いあう教師と生徒の感情的一体感は失われたが、「それはどういう意味ですか。もう一度言ってください」という問いかけ、つまり反省的思考が生まれた。アルファベットは声の文化では見出されえない反省的、科学的、技術的、神学的、分析的経験をもたらしたのであり、プラトンのイデア論もまたその恩恵を存分に受けているのである。」

李舜志『ベルナール・スティグレールの哲学 人新世の技術論』法政大学出版局、2024年、27〜28ページ。

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