仮講義「松浦寿輝の〈フーコー・ドゥルーズ・デリダ〉」(Leçon 19)

「このように自動記述を実践する者は「謙虚な録音装置」となり、作者の個人的な「才能」は否定される。つまり意識的主体が消失し、無意識的主体ともいうべきものがこれにとってかわるということであろう。無意識的主体、自動記述によって記述される「心の自動現象」が何であるのかはさまざまに意見が分かれるところであるが、当時のブルトンはそれを漠然と無意識の言語の流れと考えていたと思われる。このことは自動記述によるイマージュが視覚的なものではなく、つねに聴覚的なものであると強調されていたことからもうかがえる〔…〕しかし、なぜ自動記述の最初の実験をブルトン個人でおこなわなかったのか、なぜ共著という形式をとったのだろうか。上述したように、自動記述はすでに意識的主体の否定という観念が含まれていたが、共著による執筆はそのうえ、さらに主観性、個人的想像力(個人的無意識)を超えることを可能にする方法であったのだと思われる。『磁場』は(『処女懐胎』でも同様であるが)表紙に両著者の名が記されているだけで、実際のテクストではどこをブルトンが書いたのか、どこを共著者が書いたのかいっさい明示されていない。これは、あるテクストをある一つの署名のもとに帰属させるという――つまりは作品をその作家の所有物とみなす――近代的な個人主義に反対する考えに基づいたものであろう。このような共著姿勢はまさに作品の匿名的anonymatは、特徴を強調するものである。」

朝吹亮二『アンドレ・ブルトンの詩的世界』、慶應義塾大学法学研究会、2015年、5~6ページ。

さて、今日も今日とて「仮講義」です。やってまいりましょう。今日は引用から始めました。昨夜読み始めた朝吹さんのブルトン論より。まあ、『シュルレアリズム宣言』の一番肝要な個所ですよね。「自動記述」によって「意識的主体」が消失する。少し前に松浦さんのフーコー論を取り上げ、「言語」が出現するとき「人間」が消失する、というような命題を確認しましたが、それともパラレルな問題でしょう。そこではサルトルからフーコーへの移行が問題になっていたわけですが、朝吹家にもサルトル/ボーヴォワールからブルトンへ、という移行があったりもします。笑

わたし自身は「意識」の哲学者ですからね。苦笑 本当の意味ではわかっていない部分もあるのかもしれませんが、しかし、「意識」による「統制」みたいなものから逃れ去ったところで、「言語」が動き始めるという感覚はわからないでもない。フロイトなんかが言うように、いわゆる「夢」が「言語」と結び付いているなんていうのも、何となくわかるような気がいたします――それだけに、フロイトの「機知」の議論なんかは、ある種の「地域性=ドイツ語性」があると批判することもできるわけでしょう。

ここでもうひとつ面白いのは、「個人」の批判ですね。そこで「共著」という執筆方法に注意が促されています。実際、朝吹さんは松浦さんと『記号論』という共著の詩集を出しておられます。松浦さんが編纂を務める論集で『文学のすすめ』(筑摩書房、1996年)というのがありまして、そこで、朝吹さんが「コラボレーション考」という文章を書かれています。「表象文化論」というのは「コラボレーション」を重んずる学問ですからね。ぜひ、この文章に立ち返っていただきたいと思います。

「共著」というのはひとつの問題ですね。今回の枠組みでは、ドゥルーズとガタリのそれがすぐに頭に浮かびます――少し前にガタリの国際コロックの情報が出ていました。日本からは、宇野邦一さんが参加されたようですね(https://chaosmosemedia.net/2022/10/11/colloque-guattari-30-a-paris-8-20-22-octobre-2022/)。あと、デリダ派では、ラクー=ラバルトとナンシーの「共著」なんていうのもあります。まあ、彼らの言語態が「匿名性」を目指すものかと言えば、それは少し違うように思いますが…。

しかし、「匿名性」というのはどうなんでしょう? もちろん、ブルトンなんかの文脈で読むと蠱惑的な感じもしますが、スクリーン上でしょうもない「匿名性」に触れて育った世代としては、本当に創造性に繋がり得るのかな、なんて思ってしまう部分もあります。朝吹さんがまとめるところのブルトンの試みはわからなくもないのですが、まあ、『シュルレアリスム宣言』からもうすぐ100年ですからね。色々な条件が変わってしまったような感じも致します。

なので、ある種の「条件」を課した上で目指される「匿名性」が重要なのでしょう。当然、詩人ふたりの「コラボレーション」であれば、まず、前提として強烈な「個性」というか、「才能」があるわけです――おふたりは否定されるかもしれませんが、まあ、世間一般の感覚からすれば「変なふたり」なんです。笑 その特異な「自我」から、ある意味では、逃れていくために、まず、紙に文字を書く。で、『記号論』は確か、おふたりで交互にそれを書き直していく、という実践だったかと思います。

せっかくなので正確に書き留めましょう。朝吹さんの「コラボレーション考」より。

「こうした試みをシュルレアリスムの文脈ではなく、つまり自動記述とか無意識といった文脈ではなく実験できないか考え、同世代の詩人の松浦寿輝氏と『記号論』という共著詩集を執筆した。/『記号論』の140頁はさまざまな仕掛けにみち、さまざまな方法論をもちいて書いたが、原則的には次のようにした。一人の書き手がその場で、つまり相手の眼前である断片を書く、その断片を相手に渡す、相手はその断片にまったく遠慮することなく削除し、また手を入れ、書き直し、書き足し、最初に書いた書き手に戻す。戻された方は、さらに書き直し、書き足し、また相手に渡す。このようなやりとりを二人の書き手が納得するまで何回か行う。ブルトン、スーポーの『磁場』は相手が書いたテキストに手を入れることまではしなかった。相手が書いた言葉を抹消し、書き換えるのは何とも緊張するものだ。そもそもどんなに書き換えても相手が書きつけた言葉の痕跡は程度の差こそあれ必ず残る。そのうえ他者がすぐそばにいて何やらあやしげな気配を発しているのだから『記号論』執筆の場はまさに集合的な想像力が成立する場となった」(朝吹「コラボレーション考」、松浦(編)『文学のすすめ』、前掲、37ページ)。

なんというか、ちょっと、すごい世界ですけどね…。これが「詩人」と呼ばれるひとたちがやっていることなんです――もっとも、戦後日本で一番遠くまで行ったと言ってよい幾人かの詩人のうちのふたりの実践ですから、一般化はできませんが。わたしなんか、正直、編集者の赤が入るだけでもちょっと嫌ですからね。苦笑 目の前でバサバサと自分の言葉が切り捨てられていくというのは、心理的には、途方もないドラマがあったに違いありません。どんな感じだったんでしょうね…。渾身の一撃があっさり次のターンで消されてしまったり、適当に書いたのが案外残ったり、色々あったんじゃないでしょうか…。

でも、これ、結構簡単に真似できそうでもありますよね。笑 若い方、是非、挑戦してみてください!

さて、戻ります。まあ、以上のように、〈フーコー・ドゥルーズ・デリダ〉を考える際にも、やはり、ブルトンの「シュルレアリスム」が問題になってくるわけです――ふと思い出しましたが、『哲学の歴史12 実存・構造・他者』(中央公論新社、2008年)に「難解さについて」というコラムがあります。康夫先生によるものです。よければそちらもご覧ください。「言語」への「着手」という意味において、ポスト構造主義は「シュルレアリスムの哲学/哲学のシュルレアリスム」だったと言ってみてもいいのかもしれません。

ちなみに、フーコーには「彼は2つの単語の間を泳ぐ人だった」と題されたブルトンについての対談があります――ブルトンの死に際し、行われたもののようです。松浦さんの訳で、『フーコー・コレクション2』に所収です。少し引いてみましょう。

「ブルトンについて私が長いこと思い描いていたイメージは、死者のそれです。それは、彼が活力を失いわれわれの関心を引くことをやめたからではない。そうではなくて、彼の讃嘆すべき存在が、自分自身の周囲に、また自分自身から出発して、広大な空虚を作り出してしまったからであり、今日われわれはこの空虚のただなかで途を見失い、迷っているのです〔…〕私の眼にもっとも重要と見えるのは、ブルトンが、長年月にわたって無縁でありつづけた二つの形象、すなわち書くことと知ることとを、十全に通底させてくれたことです〔…〕表現の中に知を(精神分析を、人類学を、芸術史を、等々)進んで取り入れたブルトンには、いくぶんわが国のゲーテとでもいった趣がある〔…〕ブルトンにとって、知と化したエクリチュール(そしてエクリチュールと化した知)は、これとは逆に、人間を、おのれ自身の限界の外へと押しやり、乗り越え不可能なものの縁へと追いつめ、彼自身からもっとも遠いもののもっとも間近なところまで接近させるための、一手段なのです」(『フーコー・コレクション2』、355~357ページ)。

フーコーにはマグリット論「これはパイプではない」もありますね――岩佐鉄男先生の訳で、『フーコー・コレクション3』に所収です。豊崎光一訳もあったかと思います。「フーコーとシュルレアリスム」というのは、おそらく、重要な主題なのでしょう。これは研究がありそうですね…。

そういえば、突然思い出しましたが、文318組で一瞬「シュルレアリスム研究会」というのをやっていたことがあったんです。苦笑 実際にはほとんど何もやらなかったですけど、その後ファッション研究にいったFとかといっしょに。笑 仏文に行ったAとか、あと中村もいたのかな。19組に入江っていう変な奴がいて、そいつも来るらしい、とかね。笑 まあ、本当に何もやらなかったんですけどね。本郷の西野嘉章先生というのが詳しいみたいだから会いに行こうとかいって、モーリス・ナドーの『シュールレアリスムの歴史』を読みなさい、とか言われて読んでいたわけです。笑 すっかり忘れていましたね、これは…。苦笑

マグリットが好きで、後にキュレーターになった子がいて、わたし自身はデルヴォーについて調べたりしたんですよね。デルヴォーというのは、まあ、大した画家ではないんでしょうが(苦笑)、でもいまでもたまに眺めています――浅田さんの『ヘルメスの音楽』にデルヴォー論があります。マグリットもデルヴォーも、ベルギー人なんですよね。ベルギー人のドゥ・ヴォス先生が、デルヴォーの名前を出したら喜んでいました。その後、最初の留学のときにブリュッセルのマグリット美術館に行く機会を持ち、あれは忘れがたい思い出ですね――たまたま、大橋完太郎さんが滞在中で、ムール貝を奢ってもらったりして。笑

フランス語系は、ベルギーという手もありますからね。留学生向けの奨学金なんかもあるはずです。あと、スイス。物価がちょっと高いですけどね。

――なので、わたしの場合、そこから卒論のジャコメッティに繋がっていくような部分もあるのかもしれません。で、ジャコメッティが「シュル」から「実存」への橋渡しをするような面もあるので、修士以降、サルトルに向かうわけです。

ブルトンの『狂気の愛』にジャコメッティとのエピソードがありますが――海老坂武さんの新訳をご参照ください――、サルトルにもふたつのジャコメッティ論があって、これは『シチュアシオン』に入っています。3巻と4巻だったと思いますが、なんかガリマールってせこくって(苦笑)、最近、『シチュアシオン』が編纂されなおされているんです。で、ちょっとずつテクストが入っている巻が変わっていってるんですよ。なんだそりゃって感じですけどね…。苦笑 なので、従来の巻で3巻と4巻だったと思います。ただ、ちょっと訳が古いので、『サルトル美術論集』とかね、文庫で出たら便利ですけどね…。あと、ついでに言うと、わたし自身は短編集『壁』を訳したいと思っていた時期がありました。「水入らず」とか、結構好きなんです。

あと、これも思い出したので書いておくと、文3入学組は学園祭で「文3劇場」というがあって(笑)、われわれは寺山修司の「奴婢訓」をやりました。苦笑 それでいて、初級フランス語の担当は中世フランス語/文献学の松村剛ですからね。カオスでしたね、わが駒場時代…。苦笑 松村先生は高校生(中学生?)の頃から『ラルースやさしい仏仏辞典』を持ち歩いて、暇さえあればページを繰っていたみたいですけどね。わたしたちも、辞書の例文を暗記する授業とかがあったりするわけです。苦笑 でも、いまでもわたし、たまに『ラルースやさしい仏仏辞典』写してますけどね。これは、学習法として、結構本当にお薦めです。『ラルースやさしい仏仏辞典』は、ハンディーで、持ち歩けるんですよ。一応、2巻あるんですが、2巻は手に入らないかもしれませんね。でも、1巻でも全然大丈夫です!

ちょっと色々やばい過去が出てきてしまいましたけどね。まあ、こんな感じでしたよ。苦笑

それでは、本日は以上にいたします。次回は〈フーコー・ドゥルーズ・デリダ〉サイクルの「まとめ」を行います。

栗脇




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