酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』より

「従来の古典的な言語学には、そうした生物学的な視点がほとんどなく、言葉を人間が歴史的に作り出したもののように扱ってきた。しかしチョムスキーの理論はそうではない。生成文法は自然の産物であり、人間が言葉に与えた「意味」からは完全に独立している。
 人間が「意味」を伝えるコミュニケーションのために言葉を生み出し、文法もその副産物だという前提で考えている限り、文法が意味から独立して存在するということは理解できないだろう。
 具体例を見てみよう。次に挙げる例文は、チョムスキーが『統辞構造論』の〈第2章〉で示したものだ。

(1)Colorless green ideas sleep furiously
(色のない緑の観念が猛然と眠る)
(2)Furiously sleep ideas green colorless

 訳文のとおり、(1)は意味をなさない文である(現代詩でもあり得ないだろう)。しかし意味がなくても、文の構造は正しく文法に従っている。チョムスキーは同書で〈英語の話者なら誰でも前者のみが文法的であることが判るだろう(p. 15)〉と述べている。英語を母語としない人でも、少し英語に接していれば、これが文法的に正しいと分かるだろう。
 それに対して(2)は単なる単語の羅列であり、全く文法に従っていない。無理に訳せば、「眠る猛然と観念緑の色のない」となり、やはり文法的におかしい。(1)も(2)も意味をなさない点では同じだが、一方は文法的(grammatical)であり、他方は非文法的(ungrammatical)である。文から意味を取り去ってもその文が文法的かどうか判断できるのだから、文法判断が意味から独立していることは明らかだ。」

酒井邦嘉『チョムスキーと言語脳科学』インターナショナル新書、2019年、56~58ページ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?