山鳥重/辻幸夫『心とことばの脳科学』より

「山鳥:そこで、この反省意識ですが、これは心という現象すべてを貫く構成原理のようなものだと考えられます。もっともあいまいな程度からもっとも鮮明な程度までさまざまなかたちで心という現象を可能にする働きです。もっとも低い段階では「あ、痛い」といった、有害刺激によって引き起こされる痛みへの気づきのようなものがあります。もっとも高い段階ではデカルトの「すべてを疑っている自分というものだけが確実に存在する」という気づきまで、連続してさまざまな意識段階が存在します。このうち、低い段階のもの、主として外界変化に向けられた気づきはアウェアネスと呼ばれ、高い段階の気づきは自己意識と呼ばれ区別されることがあるようですが、個人的には両者に質的な差はないのではないかと考えています。痛みに気づくという低い段階であっても、刺激に気づくのではなく、刺激に対応して引き起こされた「『痛い』という主観的経験」に気づくのが気づきという意識活動の本態ですから、この段階でもすでに自己再帰性の原理が働いていると考えられます。」

山鳥重/辻幸夫『心とことばの脳科学』大修館書店、2006年、83〜84ページ。


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