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 横になって過ごす私の上を私の話し声がさやさや流れていく。泣きながらだれかが、泣いた方がいいとだれかの涙を拭ってやるのを見る。浴槽で肩まであたたまって、私はきっかり2粒よそよそしく泣いた。
 すくい上げると手のひらの上に嘘と書いてある。息を吸って開いた口を、正しい形を当てようとして色々な形に動かしてみる。私には本当の言葉がない。
 振ると白けた音のするほどの思い出を、ひとつずつ伸ばして机の上に並べてみる。ピンで留めて虫眼鏡でしらじらと見る。私の字で書き直されたところが滲んで終わりの数行が読めない。
 本棚の背表紙を覚えている。壁掛け時計の鳴る音を覚えていて、絨毯の色を覚えている。靴箱の置物を覚えている。大鍋の中身を覚えている。優しい言葉を掛けられたのを覚えている。優しい言葉を覚えていない。明るく笑っていたのを覚えている。明るく笑うところを覚えていない。
 悲しい顔をするのが当たり前ではないところへ行って泣きたい。寂しさが期待されないところまで行って呼んでみたい。知らない街の真夜中の歩道橋で、すれ違っただけのひとにでたらめな思い出を話して聞かせたい。こんな髪で、こんな顔で、こんな声で、こんな服で、こんな風にここへ来たことがあった。こんな日でとても楽しかったね。

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