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会わなければ良かった、という感じ?

一年ほど前から続けている古典の読み直し。ちょくちょくnoteにも感想を書いているんだけど、悲しいかな、毎回とも良い読書になっているとは限らない。読み返して印象が変わるというより、あれこんな感じだったっけ、と拍子抜けする様な事もよくある。

例えばサガンの「悲しみよこんにちは」。高校生の時、好きな作家を聞かれたら「サガン」と答えるくらい好きだったのに、久しぶりに読み返した感想は「何だか薄い…」。
20世紀を代表する女流作家(死語?)のデビュー作。創作時期は10代だったというし、深みがなくて当たり前かもしれないけど、う〜ん…。

そしてもう一つがトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」。これは高校生の時に読み、感想文も書いて学校内の何かの賞をもらった小説。トーマス・マンの小説の中では短く、テーマもわかりやすいので社会人になった頃まで何度も読み返していたのに。

完璧とも思われるストーリー展開、寒々としたドイツの片田舎の描写などはいま読んでも素晴らしいと思うのだけど。最近、読みなおしたところ…「トニオってただの駄目なやつじゃね?」という、こう何とも言えない感情が湧き上がって拭えなかった。
(小説としてはやはり素晴らしいと思うんだけど)

20代の頃は美味しいと思っていたカクテルが甘く感じたりするようなものだろうか。
逆に、若い時は必ずしも良いと思っていなかった小説の良さに気づいたりもできるし、やはり古典は奥が深い。

2024年はとりあえず源氏物語をちゃんと読み返さなければ!
その前に煮詰まっているハンバート氏をどうにかしないとね(飲んでいる場合ではない)。

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