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綾瀬と三瀬川

子供の頃、小田急線本厚木駅に住んでいた私は「綾瀬行き」というのはどこか遠くの誰も知らない街まで行く長い長い電車で、乗り間違えては行けない路線だと思っていた。その頃の自分の活動範囲が本厚木駅から町田駅までという、なんともミニマムで可愛らしい世界に住んでいたせいもある。
当時の私には、「綾瀬」は新宿でもないどこか違う世界の駅で、「北千住」はその手前の関所で、そこを越えたらもう帰れないところまで行ってしまうような、そんな感覚があった。
文字面からそんな印象を無意識のうちに受けていたのかもしれない。「綾瀬」の「瀬」はなんとなく河岸や浅瀬を思い起こす。三途の川には「三瀬川」という別名もある。渡ってしまえばもうこの世には戻って来られない、あの世が「あや瀬」なんて思っていたのかもしれない。
「北千住」という響きも、なんだか仙人が住む街の一番北の端にあるような想像をしてしまう。仙人達が「千住」という街で南に住む私達を、米粒の一つ一つを鑑定するかのように望遠鏡か何かでじっと見つめ、「綾瀬行き」に乗ってしまったら最後、悪人は街の北端にある鬼門からポイッと「あや瀬」へ捨てられてしまう。そんな、日本昔話のような妄想を、子供の頃の私は小田急線に乗る度にしたのだった。
今日、仕事で柏から品川に向かう途中、その綾瀬を通り過ぎた。電車の窓から「足立区立綾瀬小学校」という文字が見えた。それが綾瀬駅の綾瀬だと理解するまでに少し時間がかかった。なぜなら足立区だということを知らなかったから。足立区は、東京。しかも東京の23区、都会ではないか。そこでまた驚いた。
綾瀬はどこかの遠い異世界でも何でもなく、東京都足立区の下町の駅だった。私は柏の現場と神奈川の家を行き来するたびにそれを知っていたはずだった。一つの通過点として、認識していたけれど、でも子供の頃のあの綾瀬だとは思っていなかったのだった。
そういう、子供の頃との認識の差に驚くことというか、情報としてインプットしておいた「知っている」ことが、過去の記憶と結びついて「解っている」ことに変わる瞬間がある。
私はそういう現象を、最近やっと面白いものだと認識するようになった。知ることだけが面白いのではなく、思い出の点と点が結ばれる瞬間の、解っていくことも面白いのだと。

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