Vol.42 I Love Music

May. 2013

 もともと音楽家である私の偏見かもしれないが、

「音楽が嫌いな人」はこの世にいないと思っている。

 もちろん、場合によっては音楽が鳴っていると煩いと感じるときもあるだろうし、ジャンルや好みで嫌いな音楽というのもあるだろう。しかし、音楽そのものを嫌いという人はまずいないはずだ。

 私は物心つく前から音楽に溢れた家で育ってきた。
亡き父は何枚かのお気に入りのジャズレコードをLo-D(今は無き日立の高級オーディオブランド)のステレオで聴いていたし、2人いる兄のうち、チェリストを目指していた長兄はそのステレオでクラシックを聞き、フォークソングにはまっていた次兄は、かぐや姫やサイモン&ガーファンクルを聞きながらギターの練習をしていた。

 そのステレオは、当時住んでいた長屋の寝室とも居間とも呼べないような微妙な部屋の一番よい場所に鎮座し、私達家族はそのステレオの前にジッと座って音楽を聴いていた。今思えばなんと行儀がよいというか、真面目に音楽を聴く姿勢なのだろう。

 私は兄弟とも少し年齢が離れていて、まだ小さかったので、自分のレコードを持っていなかった。だから父や兄が聴くバラバラの趣味を、自ら選択することもなく、狭い家の中で聴いているのが当たり前の日常だった。

 当時高校生の次兄は、音楽の趣味がコロコロと変わり、ついこの前までフォークで熱くなっていたかと思えばロックに走り、気がつけばフュージョンでギターのテクニック志向に突き進み、音楽的にどんどん難しい方向へのめり込んでいった。おかげで、私は幼少の頃からあらゆる音楽を本格的なオーディオシステムが奏でる環境で、まんべんなく聴きながら育つことができた。

 あるとき、私も自分のレコードが欲しいと親に頼んでみたら、福島の郡山駅前のレコード屋に連れていってくれた。初めて買ってもらったレコードは、全国で500万人が買ったといわれる「およげ!たいやきくん」だ。

 家に帰り、ドーナツ盤にレコード針を落としたときの感動は今でも忘れられない。普段はLPレコードしか聴かない兄は45回転のドーナツ盤を33回転で再生してしまい、やけに声の低い子門真人の歌声が面白すぎてケタケタ笑っていた。しかし、音の悪いテレビでしか聴いたことがなかった「およげ!たいやきくん」を、本格的なオーディオで聴いたときの音の臨場感に驚き、ここで私はもっといろいろな音楽をよい音で聴いてみたいという欲求が芽生えた。

 中学生になって、東京へ引っ越し、進学祝いとして親が買ってくれたのはソニーのステレオラジカセだった。しかもダブルデッキでダビングもできて、スピーカがセパレートになるイカした代物だった。

 これが相当うれしくて、このラジカセからオーディオ機器のいろんな機能を学んだ。スピーカの赤と黒の線を逆につないでしまい、音の位相というものを体感的に学んだし、スピーカの位置関係でどのように聞こえるのか、レコードからカセットテープに録音したときに、どれぐらい音質が劣化するのかなど、たぶん興味を持つと徹底的に追求する性格は、この頃に形成されていったんだろうな、と振り返る。

 やがて見よう見まねの独学でエレキベースをプレイするようになり、憧れのアーティストの曲をダビングしてその超絶テクニックを何度も巻き戻しを繰り返しながら練習した。

 音楽を通じて出会いがあり、新しい友人ができたり小さな旅に出たり、いまどきはそんな純情なやりとりはないのかもしれないけれど、好きな女の子に自分が好きなな音楽をミックスした、「俺のセンスどうよ?」的な完全なるエゴ・カセットテープをあげたりもした。もちろんカセットレーベルも自作の、思い出すだけで恥ずかしくなるシロモノだったが、楽しい時代だった。

 脳の記憶システムがどうなっているのかは知らないが、あの頃の曲を聴くとその時代の情景や人の顔、匂いまでもが鮮明に蘇る。
音楽がトリガーとなり、埋もれた記憶の中からいいことも余計な記憶も引っ張り出してくるのだ。

 そう考えるようになってから、私は自分の人生で重要な局面ではいつも、テーマソングとなるような曲が頭の中で自動的にタグ付けされているような気がしてならない。こうすることで、まるでエバーノートのように記憶が辿られて行く。

 音楽理論を無視して音の組み合わせから考えると、簡単なメロディは128の6乗で、物理的には限りある筈なのだが、有史以来作り続けられているメロディは尽きていないのが音楽の凄いところで、ずっと人々を魅了し続けており、実は限界などないに等しい。

 音楽をやっていたおかげで、私は手掛ける仕事のほとんどすべてを音楽的に解釈し、音楽的手法でアイデアを考えたり創作できるようになった。
会社の立ち上げ方もバンドを組む感覚に似ている。
音楽は私に、創造することに限界など無いと教えてくれたのだ。

 音楽はさまざまな局面で、常に人々のコミュニケーションツールであった。私が関わった着メロというビジネスも「音楽配信」ではなく、コミュニケーションのきっかけとなる「着信音」だったからヒットしたのだ。

 私は、素晴らしい楽曲は当然のことながら、そういった音楽の持つ可能性も愛している。スマートフォンの台頭により、音楽産業の元気がなくなったといわれる一方で、新たな音楽系サービスがどんどん立ち上がっている。

 人々が音楽を聴かなくなる日など来ないと信じているが、あまりに音楽を雑に扱っている昨今を見ると悲しい気持ちにもなる。

 音楽をビジネスのツールとして扱う者も、それを楽しむ人々も、心から楽しんでもらいたいと願う。


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