Vol.42 会社やりますか?

Jun. 2013

たまには真面目な話をしよう。

ベンチャーとか起業がにわかに活気づいているが、十数年前のITバブルの頃よりも、もしかしたら勢いづいているんじゃなかろうか。

「やりたいことがあるなら、起業しちゃえばいいじゃん」そう真顔でいう人もいる。確かにそうなのだが、起業するっていったいなんなのか? 
私は25年前の21歳のときに会社を立ち上げた。
参考までに私なりの経験を今回は書きたい。

 その当時、右も左もわからずに、かなりテキトーな状態で会社を作り、経営なんてこともわからず一心不乱に目の前のやらなければならないことをこなす日々が続き、気がつけば1年が経ち、

あれ?赤字なんですね? 

なんてことを税理士に指摘され、何が赤字なのかもわからず

「赤字なのに俺は生きている、不思議?」と、

社会とお金の仕組みとは曖昧にできているんだな、と勝手な解釈をしながら、シームレスに2期目に突入し、なんとなくデタラメに人を雇い、人が増えてんのに余計に忙しくなるとはどういうことなのか? という矛盾を抱きつつも、日常の仕事に追われ、いつの間にやら2期目も終わりに差しかかり、仕事のバリエーションも増え、他のやりたいことも燻りはじめ、モヤモヤした日々を送ることになり、気がつけば、

「よっしゃ再び起業じゃ!」

と新会社を立ち上げてみたものの、世の中ってそう単純じゃないね、ということを学習し、撃沈してやり切れない気持ちでいたタイミングで、
なんだか面白そうな、まことしやかな話を持ちかけられ、いっちょ噛んでみたところで、美味しい話には裏があるという、社会の闇のような部分に翻弄され、生物学的な人類の進化よりも速いスピードで、嗅覚と判断力が異常に鋭くなり、こうなると相手の目を見ただけで敵か味方かわかるようになるという、ユリ・ゲラーのような能力もついてくる。
ここまでは句点なしの3年ぐらいが必要だった。

 同時に、「お金は大事だよー」と少しは知識がついてくるもので、知恵がついた状態で過去を振り返れば、なんだこれ! 俺ってすっげー損してたじゃん! と過去の自分が忌々しく思えてくる時期がやってくる。

 このステージに突入すると、茶色の帯を持った師範が腕組みをして待ち構えていて「よく頑張った、憧れのブラックベルトまでもう少しだ」と、秘伝の関節技の特訓をしてくれるのである。
しかし、まだ道程は長い。

 周りには自分と同じ茶帯の人間が山ほどいることに気づき、それすら気がづかない者はここで別の道に進むか脱落して行く。
他の誰かに雇われているいるわけではないので、レールすらない人生を暴走機関車のようにただひたすら走っていただけなのかもしれないし、同じところをグルグルと回っていただけなのかもしれない。

 そんな考えが頭の中を回り始めると得体の知れない孤独感と恐怖が襲ってくる。内なる感情をコントロールできるようにならなければ、次のステージには進めない。黒帯を貰うには、技術だけじゃなく、精神力の鍛錬も必要なのだ。

やっぱ就職しといたほうがよかったのか?

と、挫けそうになったとき、子どもの頃に読んだ伝説のレーサーの本、浮谷東次郎の『がむしゃら1500キロ』が急に脳裏を過り、東次郎の名言

「人生に助走期間なんてない。あるのはいつもいきなり本番の走りだけだ」

の言葉を思い出し、もっとアグレッシブに生きなければ!と、昔抱いた夢を実現するため気持ちを新たに再び走り出す。

 成功しても失敗しても一生こんなことの繰り返しが起業なのだと悟り、気がつけば30も過ぎて、今さら後戻りもできない状況という「絶望」と「希望」が交錯しながら明日を迎える。

 初めてMacを触ったときの興奮が、ただただ楽しくてバンドをやっていた高校生の頃の夢がノスタルジックに蘇って、勢いに任せてマルチメディアの会社を立ち上げてしまったり、
通信回線の向こうにいる知らない誰かと交流する感覚が、海外旅行にも似た感動があり、舞い上がりすぎてインターネット・サービス・プロバイダを立ち上げてしまったりと、私も振り返れば冒頭のとおり、

「やりたいことがあったから起業」した。

 だからそれは悪いことではないと思うのだが、立ち上げてしまった以上、それがどんな状況になろうが「やりたかった人」が最後まケツを拭くという覚悟が必要なのだ。

 会社を作って、人を雇用するということは、経営者はその社員の家族の人生も含めて背負うことになる。いずれ、なる。

 仕事で何かあれば、プライベートにも何らかの歪みは出てくるし、予期せぬ事態にもなる。ビジネスのビジョンを描くのは夢があって簡単だが、そんなことも考えつつ、一方で馬車馬のように働くのだ。
ともすればビジョンなんて無くたって良い。

 脇目も振らず周囲を見渡すということだが、もし素晴らしいパートナーに出会うことができたなら、少し気が楽になるし、そんな出会いがあれば、会社はよい方向に走り出すだろう。

 じゃあやらないほうがいいのか?といえば、私は後悔はしていないし、ジェットコースターのような人生を存分に楽しめているので、そんなことは微塵にも思わない。

 ただ、私の経験上やこれまで見てきたベンチャー企業には、こんなことが起こり得る可能性が非常に高い。この状況を楽しめる太めの神経の資質を持った人物でないと、想像以上に大変なことになるけど「それでもやるんだ!」ぐらいの精神力で覚悟を持ってやっていただければ、おそらく初志貫徹できるだろう。

 親父が生前に「おまえは子どもの頃、いつも『やってみなけりゃわからない』が口癖だった」といっていた。
あまり覚えていないのだが、確かに物心ついた時分から今でもその思考は続いている。
やはりここでも、浮谷東次郎の、

「後悔とはしなかったことに対してするものさ」

が効いているのであった。


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