見出し画像

Vol.34 仙台にて

クリエイティブカンパニーWOWの鹿野護さんとの打合せと、親父の墓参りを兼ねて、私が幼少期を過ごした仙台まで行く事になった。
東京での仕事を終えてから、そのまま移動となったので、金沢~東京~仙台~松島と、結構な長旅だったのだが、待ち構えるイベントの全てが楽しみだったので、疲れを感じる事もなくワクワクしながら向かった。
仙台に行く数日前に、Facebookで「思い出のラーメン屋はまだあるのだろうか?」という話題を書き込むと、小学校時代の友人が即座に反応してくれた。

「仙台に行ったら探して試してみます。」

私は幼稚園から小学校卒業までを福島県郡山市で過ごした。
反応してくれた日下茂くんは、その郡山の小学校の友人だ。
今は地元の郡山でインテリアデザインの仕事をしている。
卒業以来、三十三年間会っていないのだが、数年前に流行った「ゆびとま(この指とまれ!)」というサービスがきっかけで、連絡を取り合うようになった。というのも、私は卒業式を終えて、仲の良かった友達にちゃんとした別れも出来ないまま、郡山から東京に引っ越してしまったので、転居先の住所も伝えていなかった。一家で夜逃げしたとかそんな事ではなく、子供ながらに友人達との別れがただ辛かったのだ。最後はかくれんぼをしたまま、東京行きの列車に乗ってしまった。

あの時代はインターネットどころか、人を繋ぐサービスなどというものは存在する筈もなく、卒業アルバムの住所録を頼りに手紙でも出すか電話をする他、連絡をとる手段など無かった。
ところが現代では、私がiPhoneで彼が書いたコメントに「金曜日、仙台に行くんですよ」というレスをした途端に「仙台に行きます。」
そして「いいね!」を押して、再会が約束される時代なのだ。
しかし、長年会っていないし、すっかり姿が変わったであろうお互いが認識出来るのだろうか?いささか不安だったので、仙台駅で待ち合わせをすることにした。

土地勘の無い私は鹿野さんに「どこかハチ公前的な場所は無いですか?」と相談したところ「それなら駅の伊達政宗像前が一般的です」というアドバイスを頂き、Facebookで「目印に赤いTシャツを着て伊達政宗の前に居ます」と送った。
約束の時間が近付き、私は伊達政宗公を探して駅前をウロウロしてみたものの、いくら探しても独眼竜の姿など何処にも見つからなかった。
駅構内案内図を見ながら途方に暮れていると、後ろから「こんにちは、宮田くんでねーの?」と声を掛けられた。振り返ると巨大な白髪混じりで髭ヅラのオヤジがiPhoneを片手に立っていた。

日下くんは小学校の時も学年で一番の長身で、いま目の前に居る男と私との目線の距離感だった。一瞬にして記憶が蘇り、三十三年ぶりの再会で私の開口一番が「デカいな」だった。
彼も同じように伊達政宗像を探したようなのだが見つからず、周囲の人に聞いたところ四年ほど前に撤去されたのだという。
ともかく、土地勘の無い我々は町を適当に歩き、適当に見つけたバールのオープン席に座り、普通にビールを二つ頼み、再会の乾杯をした。
不思議な感覚だ。
最後に会ったときは、まだジュースだった。
どこからどう話をしていいものか、会う前はもっと悩むかと思っていたが、実はそうでもなかった。

どうやらブログやフェイスブックというツールは、人生の隙間を埋める役割を担っていたようで、私の投稿への彼のコメントや、彼の目線で撮影した写真、子供が描いた絵、仕事の様子などを見ていたおかげで、殆ど違和感が無かったのだ。視覚化されたデジタル情報をもとに脳が時間の隙間を勝手に補完していたのかもしれない。

近況を語り合う流れで当然、子供の頃の思い出話となり、一番怖かった先生の話、学校の怪談、自宅が風呂屋のボイラー室だった青柳くん、アホほど足が速い畳屋の佐久間くん、プロレスラーとカマキリの絵ばかり描いてたタケルの話、8時だョ!全員集合の公開放送のチケットが当たった話、地元の「うすい百貨店」のイメージガールが浅野ゆう子だった・・・など
話は尽きなかった。

とても仲良しだったハンサムな友人、伊藤くんの話になると、実は日下くんがいま務めている会社は、伊藤くんに誘われて入社したのだが「会社がMacを導入してくれない」という理由で、友人を誘っておきながら先に辞めたのだとか。その伊藤くんはグラフィックデザイナーとして活躍しているらしい。その晩、伊藤くんともFacebookで繋がり、あの時は言えなかった思いを綴った長いメッセージを送ってくれた。
転校生で秀才且つスポーツ万能エリートで、ドラえもんで言うところの「出木杉キャラ」だった木川くんもFacebookで連絡をくれた。
彼は私の予想通り、銀行マンになっていた。

オンラインとオフラインのプチ同窓会の夜は終わり、ホテルで今日の出来事を振り返った。不思議なもので、田舎の小さな小学校で仲良しだった友人二人が、クリエイターという職業に就いていた。

数十年の出来事を一晩で語るには時間が足りなかったし、ここにも書き足りないのだが、あの頃、ただのバカな小学生だった私達はそれぞれの人生を歩みながら大人になり、どういう経緯なのかクリエイターを志し、家庭を持ち、子供を授かり、私はあの頃の親父と同い年になった。

友との久々の再会に、あれからどういう人生だったという話をして一緒に笑い、泣き、震災に悲しみ、怒り、こうして再会する事が出来たテクノロジーの進化と創り出した人々の叡智を讃え、自分達もその一端に存在するのだという事を再認識し、これからの人生ですべきことの意志を固めることが出来た、夢のような旅だった。

そして松島は美しく、ずんだは美味かったのだ。

※MacFanコラム「結局は人ですよ」2012筆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?