Vol.4 予期せぬ出来事

Mar. 2010

 予期せぬ出来事に遭遇したとき、人はどうしてこうも脆く愚かな生き物になってしまうのか。

 正月気分もすっかり抜け、気持ちのよいある朝のことだった。
ダイニングで朝食を終えた私は、日課であるトイレで読書兼、用を足し、ウォシュレットのスイッチを押した。

「グイングイ〜ングイン」

 今まで聞いたこともない異音が爽快気分を台なしにする。
そればかりか、肝心のシャワーも出てこない。
シャワーの出ないウォシュレットはまったく意味がない。
とりあえず隣の「ビデ」というボタンを押してみる。
こんなとき、おそらく誰もが「ビデ」ボタンを押すだろう。
しかし「ビデ」ボタンを押しても異音が続くだけで何も起こらない。
私はウォシュレット依存症の体である。
洗えないと一日気持ちが悪い。

さて、どうしたものか?

 次に考えたのは誰かのせいにすることだ。
我が家には私のほかに生後間もない娘と犬がいるだけなので、妻の仕業としか考えられない。アイツめ…。
しかし、ここで彼女に怒ったところでその後の気まずい雰囲気を考えたらやりきれない。
自分で何とかするしかないだろう。
 便座スイッチ横の隠し蓋を開けると「ノズル洗浄」なるボタンが見えた。
これだ!これで問題は解決するはずだ。
押すと、エイリアンの口から出てくるようなノズルがニュ〜っと出てきて左右に回転しながらまたさっきの異音を奏でだした。
これはもう故障したに違いない。
TOTOか誰かに一言文句をいってやろうとひとまず流し、トイレを出た。
 洗面で手を洗おうとしたら今度は水が出ない。

「水が出ないよー」

 妻にそう伝えると「エレベーターの中に断水とか書いてあったかも」。
毎日乗るエレベーターに貼ってある「お知らせ」のことだと思うが、そんなものは読んだことすらない。というか、さっき妻のせいにしてしまった自分が恥ずかしい。なんと器の小さい愚かな男だ。

「そんなことより、さっきからネットがつながらないんだけど、直してよ」

 リビングのMacを見ると「AirMacユーティリティ」が勝手に起ち上がって接続エラーを表示している。なぜだ? 水道が問題だったんじゃないのか? もしかして我が家のインターネットは水道管を通して接続されていたのか?
状況がよく掴めないまま、とりあえず「AirMacエクストリーム」を再起動するも、「ダメです!」とばかりにランプはオレンジ色に光ったままだ。
「ちょっと管理人に聞いてくる」といってサンダル履きで1階の管理室へ向かった。向かったら、今度はなんとエレベーターが動かない。こんなバカな話があるのか。

 これまでの状況と問題点を少し整理すると、

① 水が出ない。
② インターネットがつながらない。
③ エレベーターが動かない。
④ 妻のせいにした…。

 これが朝の10時にまとめて起こったのだ。
 1階まで階段で降りて管理人を問い詰めようとしたものの、私の部屋は11階。階段で11階まで登って帰らなければいけない今の状況を考えたら面倒なので止めることにした。
下を見下ろすと、何やら工事の人たちが作業をしている。
 そうだ、どんな状況なのかインターフォンで管理人に聞けばいいのだ。
引き返し、部屋に戻ると妻がトイレに入っていた。
トイレのドアに向かって

「それ、流れないよ、たぶん」

私は冷静に伝えた。
妻は焦り口調で「え!なんで!?」と答えた。

「だって、断水してるから」

 さっきはタンクに貯水されていた1回分の水圧で流れたのだ。
妻には悪いが、水が出ない以上タンクは空のはずだ。そんなことよりも次に起こりそうな「停電」のことが気になって仕方がない。
私のMacではフォトショップで20以上のグラフィックスが展開されており、イラレでも同じだけのウインドウが開いたままだ。
さらにキーノートでいくつかのプレゼン資料が開いている。
停電するのが早いか、私が開いているウインドウをセーブしながらMacを終了させるのが早いのか、これはもう私とMacと電気の三つ巴勝負だ。

 右手にマウス、左手が[Control]+[S]状態でサクサクとセーブを続けていると女房が恥じらいながら、

「トイレ、入らないでね♡」って、

今はそれどころじゃないしさっき行ったから行かないし! と、半ばキレ気味で「入らない」と答え、ほぼすべてがセーブし終わりそうになった頃にトイレから「ブンブンブンッズボボボボッ〜」と音がした。

 開通したのだ。
水道開通と同時になぜかインターネットも開通した。
なぜさっきから水道とインターネットがシンクロするのかまったくわからない。すると妻が「あ! ネットつながったよ、ありがとう!」
 私は何もしていない。
 本当は血相を変えてセーブ作業に夢中だった私の姿が、妻の目には神々しくも「私のために必死に修理をしてくれている♡」ように見えたのかもしれないが、水道と同時に勝手につながったのだ。
けど、そう見えたのならあえて否定しなくてもいいか。

「あ、あぁ…よかったな」

 さっきの妻への悪態を思い出し、またしても私は自責の念にかられた。
もう人間失格だ。私はくだらないファイルのセーブ作業に夢中だったじゃないか。Macで描いた絵なんてまた描けばいいし、Mac Fanの原稿なんて昨日書いておけばよかったじゃないか。
心から反省し、どんな時も冷静に対処できる人間になろうと誓った。

 人は、予想外のことが起きたとき、思考停止し、次にすべき正しい判断ができなくなってしまう。これまで私はたいがいのことは予想できると思ってきたが、予想外は存在した。心の中は慌て、そしてふためいた。

きっとこれは神が与えた試練なのだ。

と、そんなことを考えながらニュースサイトで噂のアップル・タブレットの記事に目をやると、10インチのタッチスクリーン、カメラの有無だとか、新たな電子ブックコンテンツが… という、さまざまな憶測記事が飛び交っていた。

 アップルは常に予想外の製品を投入してきたが、今回はどうなのだろうか? でも、予想外の製品が発表されたとしても私はもう大丈夫だ。朝の4時すぎにオンラインのアップルストアでポチっとすることなど、ない。神の試練のおかげで、予想外への対処はもう心得ている。


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