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カール・マルクス 著『資本論 』第一巻 第七篇 第二十四章、第二十五章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第一巻 第七篇 第二十四章、第二十五章に目次をつけたものを再掲載します。


第一巻 資本の生産過程

第七篇 資本の蓄積過程

第二十四章 いわゆる本源的蓄積

第一節 本源的蓄積の秘資本の蓄積は剰余価値を、剰余価値は資本主義的生産を、これはまた商品生産者を手中に比較的大量の資本と労働力とが現実にあることを、前提とする。

したがって、この全運動は、一つの悪循環をなして回転するように見え、われわれがこれから逃れ出るには、資本主義的蓄積に先行する一つの本源的蓄積(アダム・スミスの言う先行的蓄積)を、すなわち資本主義的生産様式の結果ではなくその出発点である蓄積を、想定するほかないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6521). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
   
資本 関係 を 創り出す 過程 は、労働者を労働諸条件の所有から分離する過程、すなわち、一方では、社会の生活手段と生産手段を資本に、他方では、直接生産者と賃金労働者に転化する過程、以外のものではありえない。

したがって、いわゆる本源的蓄積は、生産者と生産手段との歴史的分離過程にほかならない。それが本源的として現われるのは、資本と資本に対応する生産様式との前史をなすものだからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6553). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

生産者 を 賃金労働者に転化する歴史的運動は、一面では農奴的隷属と同職組合強制からの彼らの解放として現われる。そしてわがブルジョア的歴史家にとっては、ただこの面でしか存在しない。

しかし他面では、この新たに解放された人々は、彼らのすべての生産手段と、旧来の封建的制度によって与えられていた生存保証とを奪われた後に、初めて彼ら自身の売り手となる。そして、かような彼らの収奪の歴史は、血と火の文字をもって、人類の記録に書きこまれている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6563). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

本源的蓄積 の 歴史 で歴史的に画期的なものは、形成されつつある資本家階級に槓杆として役立つ変革のすべてがそれであるが、なかにも、人間の大群が突如暴力的にその生計手段から引き離されて、無保護のプロレタリアとして労働市場に投出される瞬間は、ことにそうである。

農業生産者からの、農民からの土地収奪は、全過程の基礎をなす。この収奪の歴史は、国によって異なる色彩をとり、順序を異にし、歴史的時代を異にして、異なる諸段階を通過する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6582). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【私見:資本主義的蓄積とは、要するに、地主が農民の土地を強引に、つまり、暴力によって収奪してそれを原資とすることを意味している。いわば、暴力団が市民から金を奪って金持ちとなっていくようなことが資本主義の始まりだったということか。

これは、現在、政府が無理やり、消費税を、貧困層からも収奪して、大企業の法人税を軽減する方式と、同様に見える。資本主義の根源が収奪にあるのだから、日本は資本主義の国であるため、政府としては、当然のことをしている、となる。国家と資本家がタッグを組んでいる社会ということかな。】

第二節 農村住民からの土地の収奪

18世紀 の 進歩 は、 いまや 法律自体が、人民共有地の掠奪手段となる、ということにおいて啓示される。それとともに、大借地農業者は、彼らの小規模な独立の私的方法をも、用いるのではあるが。

この盗掠の議会的形態は共同地囲込み法案の形態であり、いいかえれば、地主が人民共有地を私有地として自分自身に贈与するための法令であり、人民収奪の法令である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6876). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

サー・F・M・イーデン は、共同地を封建領主に代わった大土地所有者の私有地として説明しようとする自分の狡猾な弁護士的弁論を、自分で反証している。

というのは、彼自身が「共同地囲込みのための一般条例」を要望し、したがって、共同地の私有地化のためには一つの議会的クーデターの必要なことを認め、他方ではまた、収奪された貧民のための「損害賠償」を、立法部に要求しているからである。

【私見:いつの時代でも、どの国でも、竹中平蔵的な人物がいるものだと、感心した】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6886). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

独立 の 自由 農民 に 代わって、任意借地農業者、すなわち、1年の解除予告期間を条件とする比較的小さい借地農業者で、地主の恣意に依存する隷属的な一群が現われた一方では、国有地の盗掠と相俟って、ことに共同地の組織的に行われた窃盗が、かの18世紀には資本借地農場または商人借地農場と呼ばれた大借地農場の膨張を助け、また農村民を、工業のためのプロレタリアートとして遊離させることを助けた。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.6898). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

教会 所領 の 掠奪、 国有地 の 詐欺 的 譲渡、共同地の窃取、横領的で仮借のない暴行をもって行われた封建的および氏族的所有の近代的所有への転化、それは、いずれも本源的蓄積の牧歌的方法だった。

それらは、資本主義的農業のために活動領域を征服し、土地を資本に合体させ、都市工業の必要とする無保護なプロレタリアートの供給を、創出したのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7207). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三節 15世紀末以来の被収奪者にたいする血の立法。労働賃金引下げのための諸法律

封建 家臣 団 の 解体 により、また発作的、暴力的な土地収奪によって放逐された人々、この無保護なプロレタリアートは、それが産み出されたのと同じ速さでは、勃興しつつある工場手工業に吸収されることができなかった。

他面では、にわかにそれまでの生活軌道から投げ出された人々が、同様ににわかに新しい状態の規律に馴れることもできなかった。

彼らは群をなして、乞食となり、盗賊となり、浮浪者となった。それは一部は性癖からでもあったが、多くのばあい、環境の強制によるものだった。

かくして、15世紀末から全16世紀を通じて、西ヨーロッパ全体に、浮浪にたいする血の立法が見られるもとになった。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7213). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

トマス・モーア は、 その『 ユートピア』の中で、次のように言っている。

かくて、彼の故郷の真の疫病ともいうべき貪欲あくなき大食漢が、数千エーカーの土地をひとまとめにして柵または籬の中に囲込み、あるいは暴力と不法をもって、一切を売らざるをえなくなるようにその所有者を苦しめることができるようになる。
(中略)

彼らの家財を売払えば、たいした価値のものではないにしても、事情が違えば幾らかの金になったであろう。しかし、突然放り出されたので、彼らは捨て値でそれを売りとばされねばならない。

そして、最後の一文を使い果たすまでさまよい歩いた後は、盗みをして法律上当然絞首にされるか、乞食に出かけるかする以外には、何ができようか?

また乞食をしても、うろついていて働かないというので、浮浪人として監獄にぶち込まれる。いかに働きたいと願っても、誰も仕事を与えてはくれない彼らだのに。

【私見:ヨーロッパでは、15世紀~16世紀にかけて、人権については、まったく無視されていた時代だった。借地農民を囲込みで、暴力的に追い出したあげく、仕事も与えずに、放置したままなので、当然の結果として、浮浪者として、街ををうろつくようになる。すると、逮捕して、死刑にするという、この野蛮さには、呆れはてるしかない。

ところが、これは、数世紀前の、ヨーロッパでの出来事すぎないことだと、安心するわけにはいかない。というのは、現在、日本政府と資本家たちが次々と打ち出している政策を見聞していると、数世紀前の、ヨーロッパでの出来事との差異は余り感じられないし、物理的ではなくても、精神的な抑圧は、かなりあるからです。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7264). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かくして、 暴力 的 に 土地 を 収奪 さ れ、放逐され、浮浪人にされた農村民は、奇怪狂暴な法律に鞭打たれ、烙印され、拷問されて、賃金労働の制度に必要な訓練を施されたのである。

一方の極には労働諸条件が資本として現われ、他方の極には自分の労働力以外には売るべきものをもたない人間が現われるだけでは、充分でない。

これらの人間が、自発的に自分を売るように強制されるだけでも充分ではない。

資本主義的生産の進行にしたがって、教育、伝統、習慣によって、この生産様式の諸要求を、自明的な自然法則として認める労働者階級が発達してくる。

成熟した資本主義的生産過程の組織は、一切の抵抗を挫き、相対的過剰人口に不断の生産は、労働需給に法則を、したがってまた労働賃金を、資本の価値増殖欲に適合する軌道内に保ち、経済的諸関係の無言の強制は、労働者にたいする資本家の支配を確証する。

経済外的直接的強力もなお用いられはするが、それは例外的であるにすぎない。事態がつねの如く進行するかぎり労働者は「生産の自然法則」にまかされうる。すなわち、生産諸条件そのものから発生し、これによって保証され、彼の資本への依存に、委されうる。

資本主義的生産の歴史的生成期においては、これとは異なる。

興起しつつあるブルジョワジーは、労働賃金を「調節する」ために、すなわち離職に好都合な枠に中に押さえておくために、労働日を延長し労働者自身を標準的な依存度に維持するために、国家権力を必要とし、利用する。

これが、いわゆる本源的蓄積の一つの本質的要素なのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7300). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四節 資本家的借地農業者の生成

無 保護 な プロレタリアの暴力的創出、彼らを賃金労働者に転化する血の訓練、労働の搾取度とともに資本の蓄積を警察力によって高める元首や国家の卑劣な行為、これらを考察した後に、次に問題となるのは、資本家は最初はどこから来たのか?ということである。

なぜならば、農村民の収奪は、直接には大土地所有者をつくり出すだけだからである。借地農業者に生成にかんしては、われわれは、それをいわば手探りすることができる、というのは、それは、幾世紀にもわたって転換をつづけた、緩慢な過程だからである。

農奴自身が、またそのほかに自由な小土地所有者も、極めていろいろな異なる所有関係に置かれていて、したがって、また極めていろいろに異なる経済的諸条件のもとで解放された。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7438). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

以下、農奴から富んだ借地農業者へと変遷していく過程を箇条書きする。

  • イギリスでは、借地農業者の最初に形態は、農奴だったベーリフ(領主の土地管理人)である。

  • 14世紀の後半には、ベーリフは、地主から種子、家畜、農具を供給される借地農業者によって代われる。

  • そして、メティエ、すなわち半農地農業者となり、農業資本の一部分を提供し、地主が他の部分を提供する。

  • この形態は、イギリスでゃ急速に消滅し、これに代わって、自分自身の資本を賃金労働者の使用によって価値生産物の一部を貨幣または現物で地代として地主に支払う本来の借地農業者が現われる。

  • 16世紀には、決定的に重要な契機がくる。当時は借地契約が99年と長期であった。貴金属の、したがって、貨幣は継続的に価値低落していたが、これは労働賃金を下げた。一方、穀物、羊毛、肉などの全農業生産物は、継続的に価格騰貴していて、これにより彼の貨幣資本を膨張させたが、彼の支払うべき地代は、以前の貨幣価値のままであるため、その結果、彼は、彼自身の努力によるところなく、富をなした。

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7444). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

フランス では、 前期 中世 における 封建領主にたいする貢租の管理人であり徴集人であるレジスールが、やがてオム・ダフェール(事業家)となり、彼が強奪、詐欺等によって資本家に成上る。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7495-7496). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

社会 生活 の あらゆる 領域 で、 いかに 獅子 の 分け前 が仲介者の手に帰するかが示されている。

たとえば、経済界では金融業者、取引所仲買人、卸売商人、小売商人が事業の旨い汁を汲み取り、民事訴訟では弁護士が当事者からまき上げ、政治では議員は選挙人より、大臣は君主より勢力があり、宗教界では神は「仲介者」によって後景に退けられ、これは坊主によって押しのけられるが、坊主もまた、良き牧者とその羊とのあいだの不可避の仲介者なのである。

【私見:経済界、法曹界、政界については、まるで、現在の日本の状況を、そっくりそのまま描写しているかのようである。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7501). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第五節 工業への農業革命の反作用。産業資本のための市場の形成

発作的 に、 そして たえず 新た に 行なわ れる農村民の収奪と駆逐は、すでに見たように、全く同職組合的関係の外に立つプロレタリア群を、繰返し繰返し都市工業に供給したのであって、この巧みに按配された事情が、老アダム・アンダスンに、その商業史で神の摂理の直接の干渉を信じさせるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7518). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

その 耕作 者 数 の 減少 にも かかわら ず、土地は依然として等量またはより多量の生産物を産した、というのは、土地所有者関係における革命は改良された耕作方法、より大規模な協業、生産手段の集積等を伴ったからであり、また、農村賃金労働者の労働強度が高められたのみではなく、彼らが自分自身のために労働した生産領域はますます縮小したからである。

したがって、農村民の一部分の遊離とともに、この部分の以前の食料もまた遊離させられる。それはいまや可変資本の素材的要素に転化される。追出された農民は、この食料の価値を彼の新しい主人、産業資本家から、労働賃金の形態で購わねばならない。

国内農産物である工業原料についても、事情は生活手段におけると同じだった。それは不変資本の一要素に転化した。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7524). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

いまや 工場 手工業 経営者 の 不変資本 の 一部 をなしている。以前は、自分でそれを栽培して家族とともに少しずつ紡いでいた無数の小生産者のあいだに分配されていたのが、今では、自分のために他人に紡がせ織らせる一人の資本家の手に集積されている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7539). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ミラボーは言う、

人々は、数百の人間が一人の指揮者の下に労働していて、普通に合一工場手工業と呼ばれる大工場手工業のみを見る。

これに反して、極めて多くの労働者が、分散して各自自分の計算で労働している作業場は、ほとんど一顧の価値も認められない。それらは全く等閑に付されている。これは非常に大きな誤りである。ただそれらのみが、国民の富の真に重要な構成部分を成すものだからである。

合一 工場は一、二の企業家を驚くばかり富ますであろう。しかし労働者は、ただ賃金が多いか少ないかの日雇人にすぎず、企業家の幸福には少しも与らない。

これに反して、分散工場では誰も富む者はないが、一群の労働者が幸福に暮らす。勤勉で節倹な労働者の数は増加するであろう。

なぜなれば、彼らは賢明な生活方法と活動の中に、彼らの状態を本質的に改善するための一手段を見るのであって、決して将来のための重要な目的ではありえない、せいぜい幾らかましな、その日暮らしを可能にするにすぎない、僅かな賃金値上げを獲得するための手段とは見えないからである。多くは小農業と結合されている分散的個人的作業場は、自由な作業場である。

ミラボー『プロイセン王国について』

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7532). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかし、 この 羊毛 を 市場 に 運び、 工場に送り、それから仲買人へ、それかあ商人へと移すならば、そこには大きな商業的操作と、この羊毛の価値の20倍もの大きさで充用される名目資本とが現われるであろう。

このように労働階級は、悲惨な工場人口や寄生的な商人階級や仮構の商業、貨幣、金融などの制度を維持するために、搾取される。

デヴィッド・アーカート『用語集』120ページ


エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7604). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかし、 本来 の工場手工業時代は、何らの根本的変化をも生ぜしめるには至らない。(中略)というのは、この時代は、原料の加工のために一定の程度まで、これらのものを必要とするからである。

それゆえこの時代は、副業としては耕作に従事し、主業としては生産物を工場手工業に売るーーー直接に、または商人の手を経てーーーための工業的労働に従事する小農民の新たな一階級を産み出す。このことは、イギリス史の研究者を最初に混乱させる一現象の主要原因ではないまでも、一原因である。

15世紀の最後の三分の一期から以後、研究者は、農村のおける資本経営の増加と農民層の破滅に漸進とについて、幾らかの間隔を置くだけで、たえず叫ばれる苦情を見出す。

しかし他面では、この農民層を、その減少する数とますます悪化する形態においてであるが、たえず繰返し新たに新たに見出す。

その主要な原因は、時代によって、イギリスがあるいは耕作を主とする国であり、あるいは牧畜を主とする国であり、そしてこの変遷とともに農民経営の範囲が変動するということである。

大工業が、初めて機械をもって資本主義的農業の不変の基礎を与え、農村民の大多数を根底から収奪し、家内的・農村的工業の根ーーー紡績と織物ーーー引抜いて、農業とこれとの分離を完成するのである。したがって、産業資本のために全国内市場を征服するのもまた、大工業の初めてなすところである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7608). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第六節 産業資本家の生成

産業資本 家 の 生成 は、借地農業者のそれのように、漸次的に進行したのではなかった。多くの貧弱な同職組合親方と、さらに多くの独立小手工業者が、あるいは賃金労働者さえも、小資本家となり、そして賃金労働搾取の漸次的拡大とそれに対応する蓄積とによって、資本家らしい資本家となったことは疑いない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7656). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

いまや 資本家 は、全社会の富の第一次的所有者であると見ることができる。いかなる法律が彼にこの所有にたいする権利を与えたのでもないのに。

所有におけるこの変化は、資本の利子を取ることから、ひき起こされた。そして全ヨーロッパの立法者が、高利を禁ずる諸法律によってこれを阻止しようとしたことは、少なからず注目に値する。

一国にすべての富にたいする資本家の権力は、所有権における完全な革命であるが、それはいかなる法律によって、あるいはいかなる一連の諸法律によって惹起されたのか?

トマス・ホジスキン『自然的所有権との比較』

革命は法律によっては起こされないと著者は自答すべきであったろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7669). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

高利貸 と 商業 と によってよって形成された貨幣資本は、農村では封建制度により、都市では同職組合制度によって、その産業資本への転化を阻まれた。

これらの制限は、封建家臣団の解体とともに、農村民の収奪および部分的放逐とともに、なくなった。新たな工場手工業が輸出開港に、あるいは、旧来の都市とその同職組合制度の統制の外にある田舎の諸地点に起こされた。かくして、イギリスでは、これらの新たな工業培養場にたいする、諸特権都市の激しい闘争を生じたのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7682). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

アメリカ における金銀産地の発見、原住民の掃滅、奴隷化、鉱山内への埋没、東インドの征服と掠奪との開始、アフリカの商業的黒人狩猟場への転化、これらのものによって、資本主義的生産時代の曙光が現われる。

これらの牧歌的過程は、本源的蓄積の主要要素である。地球を舞台とするヨーロッパ諸国民の商業戦がこれに続く。それはスペインからネーデルランドが離脱することによって開始され、イギリスの反ジャコバン戦争において巨大に規模をとり、シナにたいする阿片戦争等においてなお続行される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7693). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

公債 は 本源的蓄積 の もっとも 精力的 な 槓杆 の 一つ と なる。それは、魔法の杖で打つかのように、不生産的な貨幣に生殖力を与えて資本となし、しかもその際この貨幣は、産業的投資にも高利貸的投資にさえも不可分の煩労と危険とを冒す必要がないのである。

国家にたいする債権者は、現実には何ものも与えはしない、というのは、貸付けられた金額は、容易に譲渡されうる公債証券に転化され、それは、彼らの手中で同額の現金に全く同様に、機能することを続けるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7798). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

国債 は、 株式会社、 各種 有価証券 の 取引、 株式取引業を、一言でいえば、証券投機と近代的銀行支配とを勃興させたのである。

国民的な称号で飾られた大銀行は、その出生の当初から、政府に助勢して与えられた特権のおかげで政府に貨幣を前貸しすることのできた私的投機業者たちの会社にすぎなかった。

したがって、国債の蓄積の測度器としては、イングランド銀行の創立(1694年)以来充分な発達を始める、これらの銀行の株式の断続的騰貴以上に確かなものはない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7807). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

国債 とともに、一つの国際的信用制度が発生したのであるが、それはしばしばあれこれの国民における本源的蓄積の一つを蔵している。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7826). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

保護 制度 は、 製造 業者 を 製造 し、独立労働者を収奪し、国民の生産手段と生活手段を資本化し、古来の生産様式から近代的生産様式への移行を強行的に短縮するための人為的手段だった。

ヨーロッパ諸国は、この発明の特許のために先を争い、そしてひとたび利殖家に奉仕するようになってからは、間接には保護関税により、直接には輸出奨励金等によって、この目的のために、単に自国民を誅求したのみではなかった。たとえば、アイルランドの羊毛工業がイングランドによってそうされたように。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.7852). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第七節 資本主義的蓄積の歴史的傾向

資本 の 本源的蓄積、すなわち、その歴史的生成は、いかなることに帰着するか?

それが奴隷と農奴の賃金労働者への直接転化、したがって単なる形態転換でないかぎりは、直接生産者の収奪、すなわち自己の労働に基づく私有の解体を意味するほかならない。

社会的、集団的所有にたいする対立物としての私有は、労働手段と労働の外的諸条件とが、私人に属するばあいにのみ成立する。

しかし、この私人が労働者であるか、非労働者であるかにしたがって、私有もまた異なる性格をもつ。一見私有の呈する無限の濃淡は、この両極のあいだに存する中間状態を反映するものにすぎない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8007). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

直接生産者の収奪は、全く 仮借 する ところ の ない 野蛮 を もっ て、 もっとも 陋劣、 醜悪、 卑怯 な 憎む べき 激情 の 衝動 の 下 に、 遂行 さ れる。

自己の労働によって得られた、いわば個々の独立の労働者個人と、その労働諸条件との癒合に基づく私有は、他人の、しかし形式的には自由な労働の搾取に基づく資本主義的私有によって駆逐される。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8029). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

労働者 が プロレタリアに、その労働条件が資本に転化されれば、資本主義的生産様式が自己の足で立つにいたれば、労働のさらにそれ以上の社会化と、土地その他の生産手段の、社会的に利用される、したがって共同的な生産手段への、さらにそれ以上の転化、したがって、私有者のさらにそれ以上の収奪は、一つの新しい形態をとる。

いまや収奪されるべきものは、もはや自営的な労働者ではなく、多くの労働者を搾取しつつある資本家である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8037). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

この 収奪 は、 資本主義 的 生産 自体 の 内在 的 法則 の 作用 によって、資本の集中によって、実現される。つねに一人の資本家が多くの資本家を滅ぼす。

この集中とならんで、すなわち少数の資本家の収奪とならんで、ますます大規模となる労働過程の協業的形態、科学の意識的技術的応用、土地の計画的利用、共同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化、結合された社会的労働の生産手段として使用されることによるあらゆる生産手段の節約、世界市場網への世界各国民の組入れ、およびそれとともに資本主義体制の国際的性格が、発展する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8041). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産様式 から 生ずる 資本主義 的 領有 様式 は、したがって資本主義的私有は、自己の労働に基づく個別的な私有の第一の否定である。

しかし、資本主義的生産は、一種の自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を産み出す。それは否定の否定である。

この否定は、私有を再興するのではないが、しかしたしかに、資本主義時代の成果を基礎とする、すなわち、協同と土地および労働そのものによって生産された生産手段の共有とを基礎とする、個別廷所有をつくり出す。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8056). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

言うまでもなく、 個人 の 自己 労働 に もとづく分散的私有の資本主義的私有への転化は、事実上すでに社会的生産経営に立脚する資本主義的所有の社会的所有への転化に比すれば、比較にならないほど長く、苛酷で、困難な過程である。

前のばあいには、少数の簒奪者による民衆の収奪が行われたのであるが、後のばあいには、民衆による少数の簒奪者の収奪が行われるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8061). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

今日 ブルジョアジー に 対立 する すべて の 階級 の うち で、 現実に革命的な階級は、ただプロレタリアートのみである。自余の諸階級は、大工業の発展とともに哀願し、滅亡するが、プロレタリアートは、大工業のもっとも固有な産物である。

中産階級、小工業者、小商人、手工業者、農民、彼らはすべて、中産階級としての彼らの存在を没落から守るためにブルジョワジーと抗争する。

彼らは反動的である。歴史の車輪を逆転させようとするものであるからである。

カール・マルクスおよびフリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』

【私見:大企業の正社員もプロレタリアートなのであるが、そうした意識はないだろう。ほとんど、下請け会社から収奪しているので、ブルジョワジーであるかのように感じているものと思われるからである。

それどころか、プロレタリアートの代表である、連合の代表芳野友子氏などは、政権とベッタリという様態なので、何とも腑抜けで、間の抜けた組織となっていて、どうにもなりません。】

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8072). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二十五章 近代植民理論

一方 は、 生産者 自身 に 基づき、他方は、他人の労働の搾取に基づくという非常に異なる二種類に私有を、経済学は原理的に混同している。

後者が前者の正反対であるのみではなく、また前者の墳墓の上にのみ成長するものであることを、経済学は忘れているのである。

経済学の発祥の地、西ヨーロッパでは、本源的蓄積の過程が、多かれ少なかれすでに完結されている。そこでは、資本主義的支配が国民的生産全体を、すでに直接従属させているか、または事情がまだそこまで発展していないところでは、それとならんで存続してはいるが次第に衰退しつつある時代遅れの生産様式に属する社会層を、少なくとも間接には、制御している。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8085). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
  
植民地 では 事情 が 異なる。そこでは到るところで資本主義的支配は、自己の労働諸条件の所有者として自分の労働によって、資本家ではなく自分自身を富ませている生産者の妨害にぶるかる。

ここでは、この二つの正反対の経済制度に矛盾が、両者の闘争において実践的に実証される。資本家が、背後に母国の権力をもっているところでは、自己の労働に基づく生産様式を、強力によって一掃しようとする。

資本の阿諛者である経済学者に、母国では資本主義的生産様式を理論的にそれ自身の反対物として説明させるのと同じ利害関係が、植民地では、彼を駆って「胸底を打明け」させ、両生産様式の対立を声高く宣言させる。

彼は、この目的のために、労働の社会的生産力の発展、協業、分業、機械装置の大規模応用等が、労働者の収奪とそれに対応する彼らの生産手段の資本への転化なくしては、いかに不可能であるかを論証する。

いわゆる国富のために、彼は国民の貧弱を生ぜしめる人為的手段を追求する。彼の弁護論的甲冑は、ここでは腐った火口のように、つぎつぎに崩れてゆく。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8093). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ウェイクフィールド が 植民地 でまず第一に発見したことは、貨幣や生活手段や機械その他の生産手段の所有も、もしその捕捉物なる賃金労働者、すなわち、自由意志によって自分を売らざるをえない他の人間を欠くならば、いまだある人間に、資本家の極印を押すものではない、ということである。資本は物ではなく、物によって媒介された人と人とのあいだの社会関係であることを、彼は、発見した。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8116). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

民衆 からの 土地 の 収奪 が、 資本主義 的 生産様式 の 基礎 を なす こと は、 すでに 見 た。

これに反して、自由な植民地の本質は、広大な土地がまだ民衆の所有であり、したがって、各移住者がその一部分を自分の私有地、個人的手段に転化することができ、しかも、それによって後の移住者に同じ処置を妨げることだない、という点にある。

これが、植民地の繁栄の秘密でもあり、その癌腫ーーー資本に移住にたいするその抵抗ーーーの秘密でもある。

土地がきわめて廉価で、すべての人間が自由なところでは、すなわち、各人が欲するままに一片の土地を自分自身のために入手しうるところでは、労働がきわめて高価であるのみでなくーーーその生産物における労働者の分け前についてかく言うのであるがーーー、またいかなる代価を支払っても、結合された労働を得ることが困難である。

ウエイクフィールド『イギリスとアメリカ』

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8184). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

植民地 では、 労働 諸 条件 と その 根源 である土地からの労働者の分離がいまだ存在せず、あるいはただ散在的にか、またはきわめて局限された範囲にしか、存在しないのであるから、工業からの農業に分離も農村家内工業の破壊もいまだ存在しないのであって、かようなところで、資本のための国内市場は、いったいどこから生ずるのであろうか?

大きな事業のために資本と労働とを結合する奴隷とその使用者を除けば、アメリカには、農業を専業とする人口部分は存しない。

みずから土地を耕す自由なアメリカ人は、同時に他の多くの仕事にも従事している。彼らの使用する家具や道具の一部分は、彼ら自身によって作られるのをつねとする。

しばしば彼らは自分の住む家を建て、また彼ら自身の工業の生産物を、どんなに遠い市場にも運んでいく。彼らは、紡ぎ手でもあり織り手でもあり、自家用の石鹸や蝋燭、靴や衣服を自分で作る。アメリカでは、土地耕作が、鍛冶屋や製粉業者や小売業者の副業となっていることも多い。

ウエイクフィールド『イギリスとアメリカ』

かような変人たちのあいだでは、資本家のための「節欲の場面」は、どこに残されているのであろうか?
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8204). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ウェイクフィールド が、植民地における賃金労働者の依存関係と依存感情との欠乏を嘆くのもふしぎではない。彼の弟子メリヴェールは言う

高賃金のために、植民地ではより低廉でより従順な労働を求める激しい渇望がある、資本家が条件を課されるのではなく条件を課しうるような階級を求める渇望がある。

古い 文明 国 では、 労働者 は、自由であるとはいえ、自然法則的に資本家に依存しているのであるが、植民地では、この依存が、人為的手段によってつくり出されねばならない。

メリヴェール『植民および植民地にかんする講義』

エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8247). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

それでは、 ウェイクフィールド によれば、植民地におけるこの弊害の結果は何であるか?

生産者と国民財産との「野蛮な分散制度」である。無数の自営的所有者のあいだに生産手段を分散することは、資本の集中を破壊するとともに、結合された労働の一切の基礎を破壊する。

多年にわたっていて固定資本の投下を必要とする長期企業は、すべて実行上の障害にぶつかる。ヨーロッパでは、資本は一瞬も逡巡しない。

労働者階級がその生きた付属物をなし、つねに過剰に存在し、つねに利用されうるからである。だが、植民地では!
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8278). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

それ なら ば、 植民地 の 反 資本主義 的 な 癌腫 は、いかにして治療されるか?

もしすべての土地を、一挙に国民的所有から私有に転化するというならば、確かに悪弊の根源を破壊させることにはなるが、しかしまたーーー植民地も破壊する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8313). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

しかし、 われわれ は、 ここ で 植民地 の 状態 を 論ずる のでは ない。われわれが関心をもつのは、旧世界に経済学によって、新世界で発見され、声高く宣言された秘密である。

曰く、資本主義的生産様式と蓄積様式は、したがってまた、資本主義的私有は、自己の労働にもとづく私有の破壊、すなわち、労働者の収奪を条件としている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 3 (岩波文庫) (Kindle の位置No.8381). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

【私見:植民地というと、インドのように、イギリスから、散々掠奪を受けたというイメージしかなかったが、アメリカの植民地時代は、本国イギリスの資本主義的生産様式を、根本から揺るがしかねない状態となっていたようです。

というのは、アメリカ人は、みずから土地を耕す自由さもち、同時に他の多くの仕事にも従事している。彼らの使用する家具や道具の一部分は、彼ら自身によって作られるのをつねとしていたからであった。

ということは、国家に頼らず、小さな共同体で地産地消で、すべてを賄うことができる、システムを構築すれば、今の野蛮な資本主義生産様式から、逃れることができるのかと、夢想してしまった。

以上、今回は3千5百字一万六千字を超える字数となりましたが、ようやくkindle版で3冊目(単行本で第一巻目)の読書メモを終えることができました。次回からは、4冊目となります。】


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