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カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第一篇 第二章、第三章、第四章 読書メモ

カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第二巻 第一篇 第二章、第三章、第四章に目次をつけたものを再掲載します。


第二巻 資本の流通過程

第一篇 資本の諸変化とそれらの循環

第二章 生産資本の循環

生産資本 の 循環 は、P・・・W'・・・G'ーW・・・Pという一般定式をもつ。この循環は、生産資本の周期的に更新される機能を、したがって再生産を、すなわち価値増殖に関係をもつ再生産過程としての生産資本に生産過程を、意味する。

単に剰余価値に生産であるのみではなく、その周期的再生産である。一回かぎりのみではなく、周期的に繰返される機能としての、その生産的形態にある産業資本の機能であり、したがって、出発点自体によって再開始が与えられている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1761). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第一節 単純再生産

流通 部面 で 両極P・・・Pのあいだに行われる過程
W'ーG'ーWを考察しよう。

この流通の出発点は、商品資本、W'=W+wである。商品資本の機能Wー’G'(いまでは商品構成部分Wとして存在する商品資本中に含まれる資本価値=Pと、同じ商品量の構成部分としてwなる価値をもって存在する剰余価値の実現)は、第一の循環形態で考察された。

しかしそのではこの機能は、中断された流通の第二段階をなし、全循環の終局段階をなしていた。ここでは、それが循環の第二段階をなすとともに、流通の第一段階をなしている。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1792). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ は、 前 貸 総資本 が、つねに全体として、その一段階から他の段階に移るものと前提した、したがってここでも、Pの商品生産物は、生産資本Pの総価値=422ポンドに生産過程中に作り出された剰余価値=78ポンドを加えたものを担っている、と前提する。

可分的商品生産物を取扱っているわれわれの例では、剰余価値は、1560ポンドに糸という形態で存在する。1ポンドの糸について計算すれば、2.49オンスの糸という形態で存在する、というのと同じである。

これに反して、商品生産物が、たとえば、同じ価値構成の500ポンドの一つの機械であるとすれば、この機械の価値の一部分=78ポンドは剰余価値ではあるだろうが、この78ポンドはこの機械全体の中に存在するだけであろう。

この機械は、それ自体をこなごなに砕いて、その使用価値とともにその価値をも破壊することなしには、資本価値と剰余価値とに分割されえない。

したがって、二つの価値構成部分は、ただ観念的にのみ商品体の構成部分で表示されうるのであって、各1ポンドの糸だ1万ポンドの糸の可分的独立商品要素として表示されうるようには、商品W'の独立の要素として表示されえない。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1836). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

W’は 初め から 商品 資本 として 現われる、そして全過程の目的である致富(価値増殖)は、剰余価値の(したがってまた資本の)大きさとともに資本家の消費が増大することを決して排除するものではなく、まさにそれを包含するものなのである。

資本家の収入の流通においては、生産された商品w(または観念的にこれに相当する商品生産物W’の一部分)は、実際にはただ、それをまず貨幣に換え、貨幣から個人的消費に役立つ一連の他の諸商品に換えることに役立つだけである。

しかしその際看過されてはならない小事情は、wは資本家の費用を要しなかった商品価値であり、剰余労働の体化であり、それゆえ最初から商品資本W’の構成部分として舞台に現われるのだ、ということである。

したがって、このwそのものは、すでにその存在からして、過程進行中の資本価値の循環に結びつけられているのであって、もしこの循環が停滞するか、または攪乱でもされるならば、wの消費が制限されるか、または全く止んでしまうだけでなく、同時に、wと換えられるべき商品群の販路も同じことになるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1948). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

かく て、 剰余価値 の 生産 も、それともに資本家の個人的消費も増大し、全再生産過程がきわめて隆盛な状態にありながら、しかも諸商品の一大部分はただ外見上消費に入ったにすぎず、現実には売れないで転売者の手に滞留し、したがって実際にはまだ市場にある、ということもありうる。

そうなれば、商品の流れが次から次へと続く、そしてついには、以前の流れが、外観的にしか消費に呑み込まれていないことがわかる。

商品資本が市場でたがいに席を争う。後からくるものは、売ろうがために価格以下で売る。先の流れがまだ捌けていないのに、それにたいする支払期限が到来する。

その持主たちは、支払不能を宣言するか、または支払うためにどんな価格でも売るかせねばならない。この販売は、現実の需要状況とは全然関係がない。それはただ、支払にたいする需要に、商品を貨幣に転化する絶対的必要に、関係があるだけである。そこで恐慌がはじまる。

恐慌が明瞭になるのは、消費的需要、すなわち個人的消費のための需要の直接の減少においてではなく、資本対資本の交換の減退、資本の再生産の減退においてである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2177). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第二節 蓄積および拡大された規模における再生産

生産過程 が 拡大 さ れ うる 比例 関係 は、意のままになるものではなく、技術的に規定されているものであるから、実現された剰余価値は、資本化を予定されても、それが現実に追加資本として機能する大きさ、すなわち過程進行中の資本価値の循環に入りうる大きさには、いくつかの循環の反復によって、初めて成長しうる(したがって、そこまで積立てられねばならない)ことが、しばしばある。

かくして、剰余価値は、退蔵貨幣に凝結し、この形態で潜在的貨幣資本を形成する。潜在的というのは、それが貨幣形態に留まっているあいだは、資本として働きえないからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2221). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

生産過程 そのもの も産業資本の生産的機能として現われるのと同様に、貨幣と商品は、同じ産業資本の流通形態として現われ、したがってそれらの機能も、生産資本の機能を導くものであるか、またはそこから生ずる産業資本の流通機能として現われる。

産業資本が、その循環過程の種々の段階で遂行せねばならない機能形態としてのそれらの関連によってのみ、ここでは貨幣機能と商品機能とが、同時に貨幣資本と商品資本との機能なのである。

それゆえに、貨幣を貨幣として特徴づけ商品を商品として特徴づける特殊の属性と機能とを、それらの資本性格から導き出そうとするのは、背理であり、また逆に、生産資本の諸属性を、生産手段としてその存在様式から引き出すのも、同様に背理である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2336). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 価値 と その 子 なる 剰余価値との関係として固定されるや否や、この関係は、両方の形態で、すなわちあるいは貨幣形態であるいは商品形態で表現されているのであるが、いずれにせよ、事態そのものを変えるものではない。

したがって、この関係は、貨幣そのものに属する属性と機能からも、商品そのものに属するそれからも、生じない。いずれのばあいにも、価値を産む価値であるという資本を特徴づける属性は、ただ結果として表現されているにすぎない。

W’はつねにPの機能の産物であり、そしてG’はつねに産業資本の循環中に転化されたW’の形態であるにすぎない。それゆえ、実現された貨幣資本が、再び貨幣資本としてその特殊の機能を開始するや否や、それは、G’=G+gに含まれた資本関係を表現することをやめる。

G・・・G’が通過されてG’が新たに循環を開始するならば、それはG’としてではなくGとして現われるのであって、G’に含まれる全剰余価値が資本化されるばいでもそうである。

【私見:企業がやたらと、社内留保したり、金持ちが、不必要に貨幣を蓄積していては、経済が回らないとマルクスは述べている。

大量の貧困層こそが、生命維持のために、有り金をはたいているがゆえに、経済を支えていることになっているのが、実情だろう。資本家の強欲さが、かえって、資本主義を危うくしているとは、皮肉なものです。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2344). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三節 貨幣蓄積

金メッキ さ れ た 剰余価値 g が、ただちに再び過程進行中の資本価値に追加され、かつかくして資本Gと合してG’なる大きさで循環過程に入りうるかどうかは、単なるgの存在には無関係な事情にかかっている。

第一の事業とは別個に設立される第二の独立の事業における貨幣資本としてgを用いるとしても、gがこれに充用されうるのは、かような事業に必要な最小限の大きさをもっているばあいにかぎる、ということは明らかである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2383). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

退蔵貨幣 という 形態は、流通のうちにない貨幣の形態、流通を中断されていてそのゆえに貨幣形態で保存される貨幣の形態、にほかならない。貨幣退蔵の過程そのものにかんして言えば、これはすべての商品生産に共通であるが、それが自己目的として一役を演ずるのは、商品生産の未発達な前資本主義的形態においてのみである。

だが、ここでは退蔵貨幣が貨幣資本の形態として現われ、また貨幣の蓄積に一時的に随伴する一過程として現われる。それは、貨幣がここでは潜在的貨幣資本として現われるからであり、またそのかぎりにおいてである。

また、貨幣退蔵、貨幣形態で存在する剰余価値の退蔵貨幣状態は、現実に機能するための、資本循環の外部で行われる、機能的に規定された一準備段階だからである。

かくして、退蔵貨幣は、かような潜在的貨幣資本なのであり、それゆえに、それが過程に入るために達していなければならない大きさもまた、生産資本のそのつどの価値構成によって規定されているのである。

それが退蔵貨幣に留まるあいだは、それはまだ貨幣資本として機能さず、まだ遊休貨幣資本である。以前のように、その機能を中断された貨幣資本ではなく、まだその機能を行う能力のない貨幣資本である。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2412). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

われわれ は ここ では、 本来 の 現実的 形態における、現実の退蔵貨幣としての、貨幣積立てを考える。それは、W'を売った資本家の単なる貸越し、積権の形態でも存在しうる。この潜在的貨幣資本が、その間にも貨幣を産む貨幣の姿態で存在する他の諸形態、たとえば、銀行における利付預金や手形や何らかの種類の有価証券としての形態は、ここでの問題ではない、このばあいには、貨幣に実現された剰余価値は、それを産んだ産業資本の循環の外部で、特殊の資本機能を行うのである。

すなわち、この機能は、第一には、かの循環そのものには関係のないものであり、また第二には、産業資本の諸機能とは区別される、ここではまだ展開されていない資本機能を、想定するものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2423). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四節 予備金

いま 考察 さ れ た 形態では、剰余価値がそれとして存在するところの退蔵貨幣は、貨幣蓄積金であり、資本蓄積が一時的に採る、そしてそのかぎりでは資本蓄積の条件でさえもある、貨幣形態である。

しかし、この蓄積基金は、特殊の副次的な役目をも果たしうる、すなわち、資本の循環過程がP・・・P'なる形態を採ることなしに、したがって資本主義的再生産が拡大されることなしに、資本の循環に入ることができる。

W'─ G' なる 過程 が 正常 の 限度 以上 に 延長 さ れ、 したがって、 商品 資本 が その貨幣形態への転化を異常に阻止されるならば、あるいは、この転化は行われても、たとえば貨幣資本がそれに換えられるべき生産手段の価格が、循環の開始当時の水準以上に騰貴しているならば、蓄積基金として機能しつつある退蔵貨幣は、貨幣資本、またはその一部分の役を引受けるために使用されうる。かくして、貨幣蓄積基金は、循環の攪乱を調整するための予備金として役立つのである。エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2432). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

か よう な 予備金 として の 蓄積 基金 は、P・・・Pなる循環で考察された購買手段、または支払手段の基金とは異なっている。購買手段または支払手段は、機能しつつある貨幣資本の一部分(したがって過程中にある資本価値一般の一部分の存在形態)であって、ただ、この貨幣資本の諸部分が、時期を異にして順次に機能し始めるだけである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2445). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

予備金 は、 機能 し つつ ある 資本 の、一構成部分ではなく、その蓄積の前段階にある資本の、まだ能動的資本に転化されていない剰余価値の、一構成部分なのである。

さらに、窮迫した資本家は、自分の手中にある貨幣の特定の機能などは問題せず、彼の資本の循環過程の進行を保つためには自分のもっているものは何でも使う、ということは全く自明のことである。

【私見:予備金があるというのは、資本家にとっては、安心、安全を感じるだろうが、いざ、これに手をつけるとなると、もはや、後は、どうなるかは、自明なのでは?】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2451). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三章 商品資本の循環

商品 資本 の 循環 の 一般 定式 は次の如くである。
  W’ーG'ーW・・・W'
W'は、前に述べた両循環の産物としてのみではなく、それらの前提として現われる、なぜかというに、生産手段そのものの少なくとも一部分が、他の生産物であるかぎりは、一資本のとってG-Wであるものは、すでに他の資本にとってのW’-G’を含んでいるからである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2471). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

W は つねに 一つ の 二重物 で ある。使用価値の観点からすれば、それはPの機能の生産物、ここでは糸であって、この糸の、商品として流通から出てくる要素であるAとPmは、ただこの生産物の生産物形成者として機能したにすぎない。第二に価値の観点からすれば、それは資本価値Pに、Pの機能によって生産された剰余価値mを加えたものである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2562). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
   
W’そのもの の 循環 においてのみ、W=P=資本価値は、W'中の剰余価値をなす部分から、剰余価値の含まれている剰余生産物から、分離されることができ、また分離されねばならないのであって、この両者が糸におけるように事実上分離されうるか、または機械におけるように分離されえないかに係わらないのである。W'がG'に転化されさえすれば、それらは、そのつど分離されうるものとなるであろう。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2570). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

終局 形態G',P,W'は、つねに、最初の形態ではなく、循環中に先行する一機能形態である。

すなわち、第一形態におけるG'は、W'の転換された形態であり、第二形態における終点のPは、Gの転化されあ形態である。〔・・・・〕第三形態では、W'は生産資本Pの転化された形態である。しかし、この第三形態では、第一にこの転化は資本の機能的形態にだけではなく、資本の価値量にも関係している。

また第二にこの転化は、流通過程に属する単に形式的な位置転換の結果ではなく、生産資本の商品構成部分の使用形態と価値とが、生産過程で遂行した現実の転化の結果なのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2787). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第三 形態 では、市場にある商品が、生産過程および再生産過程の不断の前提をなしている。それゆえ、この形を固定させるならば、生産過程のすべての要素は、商品流通から生じて商品だけから成っているように見える。この一面的な把握は、商品要素からは独立な、生産過程の諸要素を看過している。

W'・・・W'では、総 生産 物( 総 価値) が 出発点であるから、(外国貿易を度外視すれば)生産性が不変であるのに、拡大された規模における再生産が行われうるのは、剰余生産物中の資本化されるべき部分のうちに、追加的生産資本の素材的要素がすでに含まれているばあいにかぎる、ということがここには示されている。

したがって、ある年の生産が翌年の生産の前提として役立つかぎり、またはこのことが同年内の単純再生産過程と同時に行われるうるかぎり、剰余生産物は、追加資本として機能する形態でただちに生産される、ということも示されている。

生産性の増加は、ただ資本素材を増加させうるだけで、その価値を高めることはない。しかしそれは、かようにして価値増殖のための追加的材料を形成する。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2940). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

第四章 循環過程の三つの形

三つ の 形 は、 Ck を 総 流通 過程 と すれ ば、 次 の よう に 表示 さ れ うる。
Ⅰ)  G ─ W ・・・P・・・W’ ─G'
Ⅱ) P・・・ Ck ・・・P
Ⅲ) Ck ・・・P(W’)

三形態を総括してみれば、過程の前提はすべて過程の結果として、過程自体によって生産された前提として、現れる。各要因が出発点、通過点、復帰点として現れる。総過程は、生産過程との統一として表示される。生産過程が流通過程の媒介者となり、またその逆となる。

三つの循環のすべてに共通なものは、規定的目的としての、推進的動機としての、価値の増殖である。第一形態では、それが形態のうちに表現されている。第二形態はPで、価値増殖過程そのもので始まる。第三形態では、循環が増殖された価値で始まって、新たに増殖された価値で終わるのであって、運動が元のままの規模で繰返されるばいいでもそうである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.2961). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

自己 を 増殖 する 価値 として の 資本 は、階級関係を、賃金労働としての労働の存在に基づく一定の社会的性格を、包含するだけではない。

それは一つの運動であり、種々の段階を通る循環過程であって、この過程自体が、さらに異なる循環過程形態を含んでいる。したがって、それはただ運動としてのみ理解されうるもので、静止物としては理解されえない。

価値の独立化を単なる抽象と見る人々は、産業資本の運動が現実性におけるこの抽象であることを忘れている。ここでは価値は、自己が保存されると同時に増殖され大きくされる種々の形態、種々の運動を通過する。

われわれは、ここではさしあたり単なる運動形態を問題にしているのであるから、資本価値がその循環過程で受けることのありうる諸革命にもかかわらず、資本主義的生産が存在し、存続しうるのは、資本価値が増殖されるかぎり、すなわち独立化された価値としてその循環過程を描くかぎりにおいてのみであり、したがって、価値革命が何らかの仕方で克服されるかぎりにおいてのみである、ということである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3092). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

過程 進行 中 の 資本 のかような変態系列は、循環中に生じた資本の価値量の変化と最初の価値との不断の比較を含む。価値形成力である労働力にたいする価値の独立化が、GーAなる行為(労働力の買い)において導き入れられ、労働力の搾取として生産過程において実現されるならば、価値のこの独立化はこの循環中にはもはや現れないのであって、この循環の中では貨幣、商品、生産諸要素は、過程進行中の資本価値の交替する諸形態であるにすぎず、資本の過去の価値量が、現在の変化した価値量と比較されうるのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3113). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

ベイリー は、 資本主義 的 生産様式 を 特徴 づける 価値 の 独立 化 を、 若干 の 経済 学者 の 幻想 として 取扱い、 これ にたいして こう 述べ て いる、「価値は、同時に存在する諸商品間の一関係である、というのは、ただかような商品のみが、相互に交換されうるのであるから」と。   
 (中略)

したがって、 価値 は、 決して 同時に ある もの では なく、 継起 する 種々 の 循環 段階 を通じて 自己 と 同じ もの で あり、 自己 と 比較 さ れる かぎりにおいてのみ、資本価値または資本として機能するということには、彼は全然気がついていないのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3118). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本主義 的 生産様式 の 傾向は、あらゆる生産を能うかぎり商品生産に変ずることである。そのために主要手段は、まさに、あらゆる生産を、かように資本主義的生産様式の流通過程に引き入れることである。

【私見:資本主義的生産様式は、何でも商品にするということで驚くのは、私が若い頃には、存在していなかった、ペットボトルに水を入れて販売する、というものだった。

水の販売業者に、この水は、アルプス山麓から抽出した、美味しい水なのかと、尋ねると、「蒸発器や逆浸透装置で、一旦、普通の水を純水化した後に、カルシウム、ナトリウム、カリウム、マグネシウム等のミネラル成分を含んだハナ薬を加える」という夢も希望もない返答だった。

そういえば、水処理のプロジェクトに、かかわっていたときに、純水装置から排出された純水を味見したことがあるが、味も素っ気もないものだった。】
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3237). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

資本 を 蓄積 する ため には、 彼 は まず 第一 に、 流通 から 彼 の もと に 流入 し た 貨幣 形態 における 剰余価値 の 一部 を 流通 から 引上げ、 これ を退蔵貨幣として、それが旧来の事業の拡張または副事業の開始に必要な大きさに達するまで、成長させねばならない。

貨幣退蔵が続くあいだは、それは資本家の需要を増加させない。貨幣は流動を止められている。この貨幣は、供給された商品のかわりに貨幣等価を商品市場から引上げたが、この貨幣等価にたいする商品等価を、商品市場から引上げはしない。

信用はここでは問題にされない。そして、たとえば貨幣のたまるにしたがって、資本家がそれを当座預金として利子付で銀行に預金するばあいは、信用に属するのである。
エンゲルス; 向坂 逸郎. マルクス 資本論 4(岩波文庫) (Kindle の位置No.3480). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

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