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神の数式のこと

過去の番組ではあるが、「NHKスペシャル」神の数式4回シリーズをyoutubeで観た。超ミクロの素粒子の動きの数式化を現在最先端理論と見做されている超弦理論を確立するに至るまでの各物理学者の涙ぐましいまでの努力が描かれていた。

哲学者ベルグソン、文学者ゲーテ達は、自然を数式化しても自然の一部分でしかないという認識には、私は同意していた。しかしながら、各物理学者は、手にふれるどころか、観察すら出来ない素粒子からブラックホール内部までの範囲を、頭脳内で思考実験するのみで、これを数式化し、何十年後に実験した結果その理論の正しさが実証されるという過程を見せつけられると、その数式化する過程には感嘆するしかない。

哲学者ライプニッツはニュートンと共に微積分を発見したと言われている。ライプニッツが考案した記号dx,dyは今も先端物理科学で立派に使用されている。ライプニッツは哲学の世界でも数式計算のように推論が行われように記号化すれば、高度な考察を必要とする推論も単純作業となり、しかも誤った推論は原理的には起こりえないようにするはずだったが、その夢は叶うことなく没した。彼を引き継いだジョージ・プールが記号論理学の始祖となった。

19世紀以後になって、すべての哲学的言語を、数学や理論物理学の言語のような普遍的かつ厳密な言語に還元しなければならないと主張する論理実証主義や分析哲学が台頭したが、現在に至るまで、この方向に展望が開けているわけでない。一方、理論物理学の目指すものは、生命の起源を物理学の基本原則からどのように克服するかという課題の解明にあるらしい。


現代物理学の知見の中には、何となく仏教の世界観と似たものがあるため、紀元前の時代に確立された仏教が、物理学の発見を仏陀はすでに知っていたなどと主張する人がいる。その他の相似として、唯識と脳科学、マンダラと量子宇宙等がある。しかし、このように理論物理学と仏教を突き合わせみても意味のないことではある。

米谷民明氏著『現代物理科学の論理と方法』から引用する。
少なくとも、地球上の生命を見る限り、すべてDNAとタンパク質という2種類の高分子から構成されている。基本的にはDNAが設計図的な役割を果たし、タンパク質を20種類のアミノ酸から作るときの配列を決める。

しかし、アミノ酸の配列可能性は途方もなく大きな数だ。このような生命の特徴は単に地球上で起こった偶然によって生じたものなのか、それとも実は背後に普遍的な原理があるのかという問題である。こうした基本問題に関しては様々な立場から長年に渡ってアプローチがされているし、多くの興味深い考え方が提案されている。今後に期待しよう。(引用終わり)

余談だが、この本の著者米谷氏は大栗博司著『超可能性弦理論入門』の中で弦理論が重力を含む理論であることをジョージ・シュワルツと同時期に発見した人であると紹介されていて驚いた。ノーベル賞級の学者と言える。 ただ、超弦理論は今後発展していく有力な可能性はあるという程度に留まっている。

生命とは、単に物質ということであれば、米谷氏の主張するように、普遍的な原理の解明は不可能ではないだろう。しかしながら、魂、精神を意味する非物質ということになると、フッサールが主張しているように、非物質類の数式化は、極めて困難となる。

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