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「勧善懲悪」について

子どもころは、チャンバラ映画が好きで、こうした映画では、必ず大悪人と正義の侍が登場して、ラストシーンでは派手な立ち回りで大悪人たちを切りまくって征伐し喝采を浴びるという構図になっていた。

現代の映画やテレビドラマでは、さすがに、こんなに白黒はっきりしていないにしても、「悪い人」と「良い人」には分かれている構図にはなっているように感じる。その方が、メリハリがついて理解しやすく、視聴後も、すっきりして満足感がえられるものと思う。

そうした習性がついているせいか、ある人物をみると、「優しい人と残酷な人」「味方と敵」「暗い人と明るい人」「親切な人と不親切な人」かどうかを一瞥してレッテル貼りをしてしまいがちとなる。

こうしたレッテル貼りをして、お互いを攻撃し合っている場面は、Twitter(現X)でもお馴染みのです。

東洋哲学というテーマで語っているユーチューバーの番組を観ていたら、芦田愛菜さんが2020年9月の映画の完成報告イベントで行われたインタービューで、「芦田さんにとって”信じる”とはどういうことですか?」という質問に対するコメントの一部が紹介されていた。

これは仏教で説く「世界を空ずる」という行為の参考になるということなのです。

「『その人のことを信じようと思います』 っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、 「それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、 その人自身を信じているのではなくて、 「自分が理想とする、 その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は 「裏切られた』 とか、 「期待していたのに』 とか言うけれど、別にそれは、 「その人が裏切った』 とかいうわけではなくて、 『その人の見えなかった部分が見えただけ』 であって、 その見えなかった部分が見えたときに 「それもその人なんだ』と受け止められる、 『揺るがない自分がいる』 というのが 「信じられることなのかな』って思ったんです」

「2020年9月の映画の完成報告イベント」より

この時の芦田さんは16歳だったようです。本質的で深淵な素晴らしいコメントだったと、世界的なニュースとなったそうですが、さもありなんと思います。

「世界を空ずる」とは、

  • 何かが起こった時に、即座に意味づけ、判断するのをやめよう。

  • 他人や物のありのままの姿を直視しよう。

という意味となる。したがって、芦田さんのコメントは、まさに、この意味の通りになっている。

ちなみに、私のばあいは、尊敬していた先輩に45年ぶりに会ったが、話しがかみ合わないので、ガッカリしたということを愚痴ったことがある。それゆえ、芦田さんの哲学的知見の素晴らしさには、ひれ伏すしかないです。

芦田さんは、賢い人だという噂を耳にしていましたが、単なる頭脳の良さの問題ではないでしょう。


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