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ノットキラキラ

週に3回も書くことがあると思うか?

いや、ない。でお馴染み、火曜日のnote更新です。

なんか来週になったら5歳児が年長さんになるらしいです。

このあいだ生まれたばかりなのに(←親が言いがちなフレーズナンバーワン)、もう年長さんとはね…。来年の今頃には小学校にあがる準備をしていると思うと、時の経つ速さに驚いてしまいます。

先日親に会った時、"あんたもこのあいだ生まれたのにねえ"と言われたので、親なんて一生そう思うものなのかもしれない。

最近つくづく子どもを育てるのって難しいなと思う。自分とは違う人格を持った1人の人間を社会の一員として育て上げるのって厳しすぎませんか?

赤ちゃんの頃は衣食住を満たしてあげればそれで良かったけれど、最近は、そう話は単純じゃなくなってきた。"自分の身の回りのことは自分でやる"、"勉強はなるべく頑張る"、"周りの人間に失礼のないようにする"、これくらいしか今のところ育児の指針がないのに、まあこれを守らせるのが難しいことこの上ない。

5歳児は完璧主義なので、できないことがあるとすぐに周りの大人に頼りがちだ。自分で最後まで遂行できそうなことに関してはやる気満々だが、そうじゃないことは他人にやらせたがる。

他人を頼る、というのもひとつの大事なスキルだから否定するつもりはないのだが、もうちょっと打たれ強くなってほしいなという思いがあり、最近はすぐには手を出さないようにしている。

赤ちゃんの頃は困っていたらすぐに助けるのが当たり前だったわけで、大人と接しているとあまり経験することのない、"同じ人間と向き合っているのに態度や指針を変える"を頻繁に強いられるので、育児は常に新鮮だし大変だなと思う。

すぐに助けるのが正義だった時期は終わってしまった。どれくらい困っていたら手を出すべきなのか、いまだに答えが出ない。まあその場の雰囲気でやっていくしかない。安全な場所で失敗させる、というのが経験値を産むのは理解しているが、なかなか難しい。

勉強はなるべく頑張る、これは私が横について色々教えれば良いだけの話で、5歳児本人はよく頑張ってくれている。

くれているのだが、100回は教えたことを100回間違えられるとついキエェ〜ッ!!となりかける。

キレても良いことはひとつもないのでキレないようにクールダウンしながら勉強させているが、子どもに勉強を教えるのは精神の修行である。子どもがラクラクこなせることばかり取り組ませて、横でニコニコしていたって仕方がない。どうしても苦手な分野にも取り組ませる必要があるが、私自身も経験してきた通り、苦手で頭に入りづらいことって誰にでも必ずある。

"誰かが教えなきゃいけないんだ"と覚悟を決めて時間をかけて教えているが、本当に良い忍耐の訓練になる。5歳の人間は私に刃向かう力はない。刃向かう力のない人間に対してキレそうになるのはこちらの未熟でしかないから、キエェ〜ッ!となりかけたらクールダウンの時間を設けるなどしてなんとか頑張っている。勉強に関しては成長せねばならないのは私のほうだと思う。

最後に、周りの人間に対して失礼のないようにする。これも結構気合を入れて教えないと、子どもはすぐに周りに対して失礼をかます。そりゃあそうだ、数年前まで赤子で、赤子の無力さゆえにどこで何をしても許されていたわけだから、急に"礼儀正しく!"とか言われても"なんですかそれは"ってなるよなあ。

公共の場で走り回らない、大声を出さない、大人にタメ口をきかない、何かしてもらったら必ずありがとうを言う、ゲームなどで負けても不貞腐れない。

別にこんなのひとつも守らなくても生きていけるが、守れたほうが何かと便利だ。一度身につけておいて、成長してから"くだらねえ、こんなの“と思うなら私の教えを捨てて生きてくれても構わない。身につけてから捨てるのと、そもそも身につけていないのとでは意味合いが違ってくる(と私は思っている)。

育児の綺麗事じゃない側面についてどこまでインターネットに書いて良いものか、常に線引きについて悩んできた。どうしても、子どもの短所と言える部分に言及せざるを得ないから。

でも、ここに書かれていることは幼い生き物を育てるという義務を負ったひとりの大人が思い悩み時に過ちを犯す愚かな様なので、そういう視点で読んでくれるとありがたい。

私のもとに生まれてきて、子どもはよくやってくれていると思う。朗らかで社交的、憂鬱な気持ちを引き摺らない、そういう性格を私は本当に尊敬している。

これからもたまに、こういう文章を書くと思います。

Big Love…