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さよなら、また会う日まで!

建て替えという現実を直視しないようにしていたが、先日とうとう覚悟を決めて行ってきた。
三省堂書店神保町本店である。

1年くらい前に撮影した三省堂書店、この写真を見るだけで切ない気持ちになる

建物の老朽化に伴って建て替えをすることが決まり、本年の5月8日をもって約40年の歴史に幕を降ろすこととなった。

仕事が休みの4月の平日、気温が30度近くある中、JR御茶ノ水駅から長い坂を下って神保町方面に向かった。桜が散ったばかりなのに汗ばむほどの陽気で、坂の途中にある明治大学の前には半袖の服を着た学生がたくさんいた。
私もこの間まで大学生だった気がするのに(これは本気で言っています)、大学入学はもうすでに15年くらい前のことになってしまった。もう何年かすればカフェテリアで額を寄せ合ってシラバスを睨んでいる新入生たちの倍の年齢になってしまう。数字の上では理解ができても、大学生になるまでの18年間と、そこから36歳になるまでの18年間が同じだというのはどうしても納得ができないな…などと考えながら足早に坂をおりた。

平素より大変お世話になっている今日の治療薬が看板を出していた

書店の入り口には閉店を惜しむ看板が出ていた。ありがとうじゃないよ、マジで建て替えなんかやめてそのままの姿でいてくれ、と思いながら店内に入る。本屋大賞を獲った本が入り口付近にタワー状に積まれているのを横目で見ながら、エスカレーターで6階に上がる。
神保町本店のエスカレーターの横の壁は鏡張りになっていて、そこに写る自分の姿をつい眺めてしまう。リュックを背負ってやや猫背になった背中を眺めながらエスカレーターを何度か乗り換える。そのうち6階に着く。
6階は私にとって一番思い出深いフロアで、主に学習参考書が置かれている。小学生の頃から勉強関連の本を買うなら大抵ここで、ひらがなや足し算のドリルから始まって、大学受験のためのチャート式まで、私の勉強は三省堂書店神保町本店に常に支えられていた。学校の帰りにも寄ったし、予備校の帰りにも寄った。棚には相変わらず青チャートが陳列されていて、ああ変わらないなあと思うと同時に、でもこの場所はもうすぐなくなってしまうんだよなあと思った。

20年以上通いつづけた場所って、三省堂書店神保町本店以外に思いつかない。参考書もそうだが、絵本も漫画も小説も雑誌も医学書も、全てこの場所で買ってきた。本が欲しくなったらここを訪れれば絶対に何かが見つかると固く信じてきたし、実際三省堂に来て本を買わずに店を出たことは一度もなかった。全幅の信頼を置いてきた場所が変わってしまうのはショックで、6階を長いことうろうろし、結局一冊の絵本を買うことにした。

私も三省堂に、おいていかないでって言いたい 建て替えがただたださびしい

この本は1981年、つまり三省堂が建ったその年に出版されている。建て替えが決まった思い出の場所と同い年の本ということで、絵本コーナーでピックアップされていたので思わず手に取った。

本を携えて、レジのある1階までエスカレーターで降りる。鏡に写る自分の姿を見ながら、ああ、そうか、私は小学生の頃からずっと自分の姿をこの鏡で見てきたんだなあと思った。20年以上私の姿を写してきた鏡なんて、この場所以外には実家の姿見くらいしか思いつかない。
思えば様々な本を抱えてこの鏡に写ってきた。小学生の頃から幾度となく親に本を買ってもらった場所で、最後に買ったのは娘のための絵本だなんて、あまりに話として綺麗にまとまりすぎている。こんなふうにいい感じのオチをつける必要なんてあったか?と思いながら会計を済ませた。でも、何かせずにはいられなかったんだよな。何の記念品もなしに建て替えられる建物をただ見送るなんて出来なかった。

ああ、寂しい、と思いながら未練がましく1階を歩いていたら雑貨屋でストームグラスが大安売りされているのを見つけて、最後の1点を買ってしまった(三省堂の1階には『神保町いちのいち』という雑貨屋がある。2013年にオープンしており、三省堂の中では比較的新しい店なのだが、建て替え後は撤退予定だそうである)。

エタノールの液の中に浮かんだ樟脳の結晶が温度や天候によって様々な形に変化するストームグラスは、かつてヨーロッパで航海時の天候予測器として使われていたらしい。本当のところはどうなのか知らないが、透明なガラスの中に浮かぶ樟脳が冬の日に結晶化する様子は美しく、いつか手元に置きたいなとずっと思っていた。

水滴状のガラスの中に白い結晶が見える 寒い季節が一番美しく結晶するらしい

最後の一点は三省堂の一階、文房堂側の大きな窓のそばに置いてあった。三省堂と文房堂の間の道はかつて学生だった頃、幾度となく歩いた。懐かしいその風景をガラスに写し続けていたであろうストームグラスは、今は私の書斎の机の上に置かれている。本を読むときも、こうして今noteを書いているときも、季節によって姿を変える結晶を眺めては、こよなく愛したあの建物に思いを馳せる。

建て替えは2025年頃に終わる予定だそうである。新しい建物に足を踏み入れ、再び本と出会うその日まで、しばしの別れである。また同じ場所でお会いしましょう、と思いながら、御茶ノ水方面に向かう帰り道、建物に向かって頭を下げた。40年間、本当にたくさんの思い出をありがとうございました。さよなら、また会う日まで!

Big Love…