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マティスの黒

もう30年以上も前になるが、受験生として美術学校の試験を受けるために絵の勉強をしていた。その時、黒色とピンク色の使い方は注意するよう先生から言われたことが忘れられない。主張がすぎる黒や、幼稚になりやすいピンクは平面構成の試験では使わない方が良いとすら言われた。その2色はそのくらい難しい色なんだと警戒しているうちにとうとう使うのが怖くなってしまった。
日頃から色の使い方には自信がなかったせいもある。色を作ることや、色で気持ちの良い新鮮な画面をつくりたいと思う度に、色って難しいなあと感じていた。だから、マティスってすごいなと思っていたのだ。マティスの作品の色の調和には当時から驚かされ、尊敬していた。

今回東京上野で開催されているマティス展に行き、マティスは黒色とピンク色を使うのがうまいなあ!ということをつくづく感じた。たしかに黒色は主張が強いが、マティスの作品は画面の中でその主張をうまく利用している。黒を使うことで作品に勢いや強さを加え、構図をひきしめる。黒色で汚れたかのように見える白いドレスも立体感として見るとなくてはならないものにみえてくるし、逆に形を黒で縁取ることにより立体感をわざと消した軽やかな線が強調され、シンメトリーすぎる構図もリズム良く魅せている。
マティスの色使いはやっぱりいいなあ!
改めてマティスの絵の色について考えてみたくなった。

1905年のサロン・ドートンヌに出品するために大急ぎで描いた「帽子の女」が、同時代人の目にはひどい手抜きの作品に見えたという。人々はこの絵の前に集まって大笑いし、侮辱した。

「帽子の女」1905年
※今回の展示にはありません

マティスはといえば、この展覧会に大きな期待をよせていた。自分の欲するものが思ったように描け、初めて作品に表現できたという手応えがあったし、それを人前におひろめするということにも自信があったのだ。しかし当時の人々はその強烈な色彩や荒々しい筆使いに驚き、避難の声をあびせた。批評家のルイ・ヴォークセルは「まるで野獣(フォーヴ)に囲まれたドナテッロのようだ」とせせら笑った。

しかしこれがまさに20世紀美術の幕開けだった。フォーヴィズム運動自体は1905-08年と短いが、これをきっかけに印象派や世紀末美術の影響を受けた芸術家たちが新しい表現方法を模索し次々に新たな芸術運動をうみだしていく。フォーヴィズムの作家たちは(マティス、ブラック、ルオー、ドラン、ヴラマンク、デュフィなど)それぞれに作風を変化させていき、さらに発展させた画家もいる。フォーヴィズムが誕生した同じ年に若い画家たちによる前衛絵画グループ「ブリュッケ」(橋)が結成されたり、1909年にできた新芸術家同盟にはやがてクレーも加わって「青騎士」のグループに発展した。

それまで写実主義の手段だった「色彩」を、マティスは感情を表す手段として用いていく。マティスは目の前にあるものをそっくりに描くのではなく、色とかたちと線のハーモニーによってそのものがもつ輝きだけを絵の中に表そうとした。

「帽子の女」から10年ほど後に描かれたこの「白とバラ色の頭部」も、観る人をギョッとさせた。たしかに奇妙な人物画だが、わたしが使いこなせなかった黒とピンクを画面いっぱいに使用していることを思い、目が離せなくなった。黒とピンクのバランスが絶妙だ。

「白とバラ色の頭部」1914年

顔の真ん中にある太い黒い直線は、この作品のほぼ真ん中でもあり、その大胆さに驚く。しかしやはり色が良い。それぞれの色も、その組み合わせも、バランスも絶妙だ。どうしてこんなピンク色がつくりだせるのだろう。どうしてこの青をこの大きさでここに使ったのだろう。みればみるほど疑問が感嘆に変わっていく。みればみるほどこの色とこの配置しかないように思えてくるのだ。


マティスといえば赤。画面いっぱいが赤色に満ちている作品を思い出す。こんなに真っ赤な部屋はないだろうと思いつつ、こんな部屋なら落ち着かないだろうと考えつつ、絵としての画面では最高に魅力的だ。心地よくてずっと見ていたくなる。マティスの作品で赤が基調となったものばかり集めた展覧会なんてやってくれたらなあ!全部みてみたい!などと考えてうっとりとした。
今回の展覧会では「赤の大きな室内」が出展されていた。

「赤の大きな室内」1948年
この作品でも黒が効果的に使われている

赤い色といってもいろんな色があるが、そうか、この赤い色が私は好きなのだ。この赤い色が良いと感じるから作品を観ていると気持ちがウキウキとしてくる。マティスの作る色は、マティスが考えぬいた色調と配置と分量なのかもしれないが、いや考えぬいたとしてできることなんだろうか。マティスの赤はマティスの描く様々の装飾の色を壊さず、それでいて負けない。ガチャガチャしながらも新しい調和をうみだし生命をもつ。
これは奇跡なんじゃないだろうか。
マティスの色はまだ見たことのない、見たかった世界をみせてくれる。そして色彩によって、観る者の新しい気持ちをよびさましてくれるのだ。


マティスの、こんな言葉をみつけた。
「黒は一つの色彩だ」
マティスは黒色について、「黒は光や明るさを表現することもできるのだ」とたびたび言及している。(画家のノート108頁より:マティス展図録203頁より)

また、こんなことも言っている
「どんな色を置いたらいいかわからないときには、私は黒をおいたものです。黒というのは力です。つまり、私は構成を単純化するために黒で重心をとるのです。」

晩年とりくんだ切り絵の数々に、黒は大きな存在感をみせている
まさに黒は力。黒が重心をとっている。

※切り絵作品すべてカタログより

いままでのマティスの印象はたくさんの明るい色のハーモニーによって構成された作品であった。しかし今回黒を使った作品のなかで、黒色がより「色彩」を放ち、効果的に画面を作り上げていることに気づく。
改めてマティスの「色の魔術師」と言われる所以たるものを感じずにはいられない。マティスの線やかたちが心地よい色彩とともに音楽を奏でる。


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