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尊富士のふるさと|「五所川原市」紹介 【聞いて・寄って・うちのまち】

 尊富士の故郷ということで、青森県五所川原市に興味を持つ人もいらっしゃるのかと思い、五所川原市について書いた文章を掲載します。こちらは、「議会と自治体 2023年11月号」に掲載されたものです。

素戔嗚尊|筆者撮影

「夏の夜に響くねぷたの威勢のいい掛け声」

 今年お披露目された新作の立佞武多(ルビ:たちねぷた)「素戔嗚尊(ルビ:すさのおのみこと)」は、コロナ禍からの再出発と地域の賑わいを取り戻す象徴として位置づけられ、感染症や自然災害等による厄災がこれ以上降りかからないよう願いを込めて制作されました。わがまち五所川原市の、現在の一番の観光資源は、立佞武多です。
 立佞武多の歴史は、古くて新しく、今から27年前の1996年(平成8年)に、明治・大正期に作られていた佞武多の大きさの立佞武多を復活させようというボランティア運動が80年ぶりに立佞武多を復活させました。市が支援を決め、現在まで制作され続けています。
 いまでは青森三大ねぶた祭りの1つと言われますが、立佞武多の特徴はその大きさで、高さ20メートル以上あり、青森市のねぶたと比べ4〜5倍の高さです。重さは16トンあります。ねぶた祭りは、「ラッセラー(青森ねぶた祭)」や「ヤーヤドー(弘前ねぷたまつり)」のようにその土地ならではの囃子方(ルビ:はやしがた)のかけ声で祭りが盛り上げられますが、五所川原立佞武多では「ヤッテマレ、ヤッテマレ」がかけ声です。「ヤッテマレ」は津軽弁で、標準語の「やってしまえ」に近い意味です。普段は穏やかな気質の津軽のまち、五所川原。立佞武多の運行期間は、夏の夜に威勢のいいかけ声が響きます。
 運行期間以外は、市内中心部にある「立佞武多の館」において常設の展示があり、立佞武多と祭りの様子を感じることができます。

 五所川原市は、岩木川がつくった津軽平野のほぼ中央に位置していて、肥沃な津軽平野で林檎と米の栽培が盛んです。弘前市より北側の津軽の2市5町を西北地域と呼びますが、五所川原市は同地域の中心としての役割を担ってきました。急激に人口減少が進んでいますが、現在の人口は4万9千人ほどです。子育て支援に力を入れており、県内の市では初めて2020年10月から小中学校給食費を無料化し、2023年4月からは、高校生までの医療費を無償化しました。
 五所川原市は、平成の大合併で金木町(ルビ:かなぎまち)、市浦村(ルビ:しうらむら)と合併しました(五所川原市の名前はそのまま)。市浦地域にはシジミの産地、十三湖があります。金木地域は文豪・太宰治生誕の地、また津軽三味線発祥の地で歴史・文化が息づきます。市浦村とは、隣接していなかったので、合併後は飛地のある市となり、また、以前は海に面していない市でしたが、現在は市浦地域で海と面しています。
 降雪は多く特別豪雪地帯に指定されています。太宰治の小説「津軽」の冒頭には「津軽の雪 こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こほり雪」と書かれていますが、夏だけでなく、ぜひ冬も、津軽の雪を体感しに当地へ来て下さい。

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