105. ナポレオン登場。
①ナポレオンの経歴
ナポレオンの生まれはコルシカ島。ここは長らくジェノバ領だったため、イタリア系住民が多い。ジェノバはヴェネツィアとの競争に苦しくなり、借金を返済するため、コルシカ島をブルボン家に売却した。
コルシカ人はフランスからの独立を訴えたが、フランスは 許すはずもなく抵抗はむなしく失敗に終わった。
正式にフランスに併合されたコルシカ。フランス側につく人々を優遇し始めた。コルシカの人々を裏切りフランスに着いた人々の中にナポレオンの父シャルル=マリ=ボナパルトの姿があった。裏切り者の息子である少年ナポレオンには心中お察しする。
ナポレオン父はフランス貴族となり、ナポレオンはフランスの陸軍士官学校に行くことになった。
ナポレオン「 コルシカの独立運動をはねのけたフランスの実力を見てやろうじゃないか。」
一生懸命勉強するナポレオン。しかし、イタリア訛りで背も低いナポレオンにフランス人生徒がいじめてくる。
生徒「君の言葉は汚いね。」
生徒「コルシカ帰っておとなしくしてな。」
生徒「邪魔です、どいて下さい。ここはあなたがいて良い場所ではありません。」
それでもナポレオンは、必死に机にかじりついて勉強した。。
抜群に優秀な科目があった。数学と歴史だ。
計算が早いと大砲の弾道計算が戦場で早くできる。ナポレオンは砲術がとてもうまかった。
そして歴史を勉強し、ハンニバルを知り、アレクサンドロス大王を知り、カエサルを知った。
ナポレオン「私もいつか彼らのように歴史に名を残したい。」
月日が流れ、ルイ16世がギロチンで処刑される大ニュースが飛び込んできた。フランス革命だ。
② ナポレオンは革命に参加するのか?
ロベスピエールたちジャコバン派が国民公会でジロンド派を追放してしばらくの頃。
フランス王政の復活を図る男がイギリスの支援を受けてトゥーロン港を占拠する事件が発生した(1793)
ナポレオンは陸軍士官学校を卒業し、フランス軍砲兵に入隊して8年が経過していた。
出撃命令が出るとナポレオンは司令官として討論の街を包囲し、得意の砲術で王党派をなぎ倒した。
大勝利にナポレオンはイタリア遠征することになった。
③テルミドール反動
イタリア遠征準備中のナポレオンに連絡が入る。
なんとロベスピエールがギロチンで処刑されたと言うのだ。
テルミドール9日のクーデターである。
ナポレオンも逮捕された。ロベスピエールの弟とこういう関係があったと言うことだ。
このままいけばナポレオンはギロチンにジャコバン家と共に殺されているだろう。
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