52.ハプスブルク家登場。
①ハプスブルク家の領地内で。
鷹の城という意味が由来となったハプスブルク家。
選帝侯がオーストリアの弱小貴族ハプスブルク家を皇帝に任命した。しかしハプスブルク家のルドルフ1世が意外とやり手で、選帝侯たちはハプスブル家は皇帝にするのをやめようとなった。
息子のアルブレヒトはこの時、皇帝になれずに地元スイスに帰っていた。
ハプスブルク家は地元スイスで重税をかけていた。
理由は、東方貿易のルートであったため。
スイスの諸侯たちはこの重税に反対し、原初同盟(1291)を結成しハプスブルク家に反旗を翻した。
この後、約400年間にわたって戦争が続く。
②ウィリアム=テル
スイスの英雄、ウィリアム=テル。
ハプスブルク家の代官が道に帽子を用意して、
代官「これはハプスブルク家の当主様と変わらない。通るときはお辞儀をしろ。下げないものは処刑する。」
テル「・・・。」
代官「おい、頭を下げなかったな。処刑する。」
代官「お前には息子がいるようだな。息子の頭の上にリンゴを乗っけて弓で射ることが出来たら許してやろう。」
テル「・・・。」
弓がリンゴが見事命中。
テルはもう一本、弓を取り出して代官を射ろうとしたため、 即座に逮捕。
テルは途中で逃げ出した。ここから始まったのがスイス独立戦争の始まり。
19世紀に戯曲として古典派シラーが書いて有名になった。
ハーモニカで演奏しちゃうおじさん。
③外されるハプスブルク家。
アルブレヒトはこの後、一度皇帝になるが、世襲化することはできずに皇帝は別の人間に。
1356年、大空位時代が始まって100年目。7人の選帝侯たちは自分たちの権力を盤石にするためにベーメン王を皇帝に選出して条件を出した。
選帝侯は7人の諸侯に限定する趣旨を成文化した。カール4世は自分の権力を結果的に縛ってしまった事になる。ベーメン王も力を持っているから皇帝の座から引きづりおろせとなり、もう一度ハプスブルク家を皇帝となった。以後、ハプスブルク家は政治力を駆使して毎回皇帝に当選する。
青=シュタウフェン家
白=ベーメン王
赤=ハプスブルク家
④ハプスブルク家の拡大の仕方。
領地を広げていったのは婚姻政策。結婚によって領土を拡大する。
ブルゴーニュ家と結婚し、男がいなかったのでオランダ、ベルギー、ブルゴーニュがハプスブルク家の領地に。
スペインの王家と結婚し、スペインが丸々ハプスブルク家の領地に。
フェルぺ1世の息子にカール5世がでてくるのである。
あくまでも皇帝権力が弱体。選帝侯に頭が上がらない。
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