考えることに終わりがなさすぎる

これ朝から読んでめっちゃ思うところがあったから、久しぶりにnoteを。


私は最近、「人を育てる」方法について自分の中でまだ答えが出てなくて、悩ましい毎日を送ってます。

悩んで、いくつかトライアンドエラーした結果たどり着いたのが、「相手の能力に任せて、介入しすぎるのを諦める」という選択をしていました。

なぜそうなったかというと、前職で管理者として10人前後の組織をマネジメントしてた時に、

「将来は主婦になりたい。」

という若い女の子がチームにいて、当然その子は

 言われたことをやる。

 定時になったら帰る。

この2要素で構成されている子でした。

その会社はベンチャーだったので、会社としてはゴリゴリ売上利益にコミットする働き方を求めていて、チームのメンバーをそういう風に動かすように私も上から言われていたんですが、どうすればその子を変えられるか、全く解決策を見いだせなかったんです。たくさんトライアンドエラーをしましたが無理でした。

結局、「そういう人はそういう人。焚き付けてベンチャースピリットをインストールするのは不可能。」という結論を出してしまい、他の人や自分自身が頑張ることによって補完するようにしました。

他の人の管理をする時も、相手を大きく変えることはなく、「相手の能力に任せて、介入しすぎるのを諦める」という選択肢が当時の最適解だったため、その考えが私の中で定着していきました。


そして、今の職場でも、その考え方を発揮しつつあります。

例えば、60歳を超えた配車の担当者が弊社にはおりまして、その人が社長、私、に次いで課長として管理職の立場に立っています。

運送会社にとって配車担当というのは司令塔みたいな立ち位置です。かつ課長の役職についているので、ドライバーさんを管理したり、指示したり、指導したり、会社経営の目線からも配車を調整したりしないといけません。すごく重要な立ち位置です。

しかしこの人、全然自分の責務を全うできてないんです。自分のやりやすい方法を作ってしまって、それを全く変えようとしない。

そもそもそういう形をつくってしまった会社が悪いんですが、このままでは会社が潰れてしまう可能性を孕んでいる問題たちがゴロゴロ転がっている中で、それを見逃すわけにはいかない。

3月に私が入社して、問題たちに対して解決案を提案しまくっても、

基本的にすべて、ハナから否定。

30個くらい提案して、通ったんは1割未満くらい。

私の提案が間違っているのであればそれはこっちが悪いんですが、明らかに会社にとっても、その他社員にとっても変えたほうがいいことなのに、

今までのやり方を変える=自分のやり方を否定されている

という風に謎の変換がなされ、いい歳こいて拗ねよるんです。百歩譲って拗ねてからでも改善してくれたらいいんですが、拗ねて全く聞く耳を持たなくなるんです。

この人に対して僕は、その人がいなくても良い組織を作って、追い出してしまったらいいかと思って行動してしまってます。

この人に対して意見をぶつけて、自分が不快な気持ちになったり、相手が拗ねて社内が悪い雰囲気になる方が、悪だと思ってるからです。

そう思ってからすぐに、ドライバーから配車担当を一人選出して、その人の仕事を奪っていってもらえるように依頼し、今絶賛改革中です。課長は拗ねたらめんどくさいので、特に意見は言わず付かず離れず本人的には快適に仕事ができてるんじゃないかなと思っています。そしてうまーく幸せ―に引退してもらったらいいんじゃないかと。

というところだったんですが、この記事を読んで、

本気で人を変えて、幸せに導けるように寄り添うことの大切さを学んだ気がします。ちょっと記事の本質とは違う捉え方やと思うんですが。

特に私は、「全員を幸せにしたい」っていう夢がありまして、自分自身の周りの人はもちろん、より多くの人を幸せにするために、私と同じマインドを持った人を生み出すために学校を作ろうと考えてます。そのために今色んなことに取り組んでいますが、

「相手の能力に任せて、介入しすぎるのを諦める」

この考えに基づいて提供できる幸せというのは、相手が求めている幸せで、それが本当にその人にとっての幸せなのかはわからなくないか?って思っちゃいました。

これに関してはすごく難しい。

ちょっと今からもう少し考えてみます。中途半端な終わり方ですが、続きはまたここで書いていきたいと思います!


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