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復学することに決めました

退学しようと思いながら休学した大学に、復学することにした。
1年前の自分は、まさか未来の自分が大学に通う意思を持つことになるとは思っていなかった。

休学中の目標は、
① 自分の努力を認め、自信を持つこと
② 社会のニーズを知ること
③ 自分の力でお金を稼ぐ道を見つけること
④ 将来の生き方について(軽くでいいので)見通しを持つこと
であった。

①については、少しずつできている。
努力は楽しくてもいい。自信はまだ、足りないかな。

②は、とても難しい。
これについては、③と関係する。また別に記録しようと思う。

③のスタート地点には立てた。
私は今、良いご縁があって、ウェブライティングのお仕事をさせてもらっている。
始めてから1か月。これからもっとスキルアップしていきたい。

④が一番大変かもしれない。
というか、目標自体がざっくりしすぎである。
このざっくりさは、自分の未来を断定したくないという意味で、重要なのだけれど。
私はマルチタスクが極端に苦手な人間なので、これをやる!と決めると他に目がいかなくなる。
ちょっと視線をずらしたところにあるかもしれない、大事なチャンスに気づくことができなくなるのだ。
だから、あらかじめ明確にプランを立てることは苦手だし、機会損失を恐れるがゆえにしない。

さて、復学するという意思決定は、主にこの④に関する気づきからきている。
今回は、そのことについて記録する。

私の人生は、知識欲を探求するためにある

休学してからの約9か月間、私は大学で取り組んでいた勉強から離れていた。
大学で特に意欲的に勉強した内容は、心理学の中でも脳神経系を扱うフィールド。
特に、神経美学への興味から、視覚芸術の心理学について学んでいた。

休学してからは、勉強自体あまりしていなかった。
インテリアデザインに関してちょこちょこ本を読んだりオンラインコースを流し見したりといった具合。
こんなに勉強しないのは、初めてかもしれない。
「休日は何をしていたの?」と訊かれれば、睡眠・読書・勉強以外の答えを持ち合わせていなかった私が、バイトや人付き合いをメインに生活し、勉強からは離れていた。

その反動か、最近は勉強したくてたまらない。
勉強中毒かもしれない。
昨日、久しぶりに「神経美学」で検索をかけて記事や論文を見ていたら、最新情報に追いつけない焦りを感じた。
うわ。面白い。もっと知りたい。
私が一番楽しいと思うのは、この瞬間なのだろう。
どんなに新しいものに出会って、体験して、いろいろな世界を見たとしても、私にとって一番楽しいことは勉強なのである。
私の人生と勉強は、切り離せない。

楽しさは、自分次第

大学は、つまらない。
それは、私が周りの人間に期待していたから。
これだけの期間、大学から離れて、少し見方が変わった。

大学は、多くの機会を提供してくれる素晴らしい場所かもしれない。

学生であるという身分は、強い。
「私は〇〇の学生で、××に興味があるのでお話聞かせていただけないでしょうか」というコンタクトを取りやすい。無知でも探求心があれば許される。
大学の図書館は、居心地がよく夜遅くまで開いているので集中して勉強できる。
よく閉館時間ギリギリにふっと集中が切れてお腹が鳴っていた(集中していると食事を忘れる)。
大学の先生や事務の方は、学びたいという意思に対応してくれる。
学部の授業がつまらなすぎて相談したとき、院生の集まりに参加しないかと提案をいただいたことがある。
残念ながら当時塾講師のアルバイトをしていた私には、その時間を空ける余裕がなく断ってしまった。なんて勿体ない…

大学がつまらないというのは、私がつまらない人間だからなのだろう。
もっとうまく活用して、面白くする努力をすれば、大学は楽しい場所になる。気がする。

とはいっても、復学したらそれはそれで周りのやる気ない学生に感化されて、再び「大学無理…」という気持ちになるのだろう。
復学したら、大学を生活の中心にせず、活動場所の一つくらいに捉えるようにしたい。

勉強は、最上級の娯楽だ。
大学に通うということは、とても贅沢なことだ。
離れてみて、ようやく実感した。
贅沢な環境に戻る選択肢がある今、それを選ばない理由はない。

日常会話は向いていない

いくつかの国を渡り歩いて、何人もの人に出会った。
毎回、何を話せばいいのかわからず困った。
日常会話とは何だろう。
カフェでお茶している人たちは、いったい何を話しているのか。

人と会う機会があれば、断ることはしない。
そこには特に理由はなくて、しいて言うなら時間があるから。
でも、新たな人と会うたびに、何を話せばいいのかわからず支離滅裂な自分の話をすることになる。

「へえ、そうなんだ」「すごいね」「よく考えているね」
といった、社交辞令をいただいて、申し訳ないなあと毎度帰ってから反省するのである。
たまに、「面白い」「それはどういうこと?」
と突っ込んでくる人がいると、楽しい。
私は、会話というより、「なぜ?」を考察し合う議論が好きなのだろう。

ミートアップする際に、相手に何かを期待しているわけではないと思っていたが、私は議論できる仲間が欲しいのだと気づいた。
それは、必ずしもアカデミックな内容である必要はない。
何かパッションを持っていて、深い哲学を構築している人間であれば、面白い議論ができる。

学会や研究発表で質問したり、その後の交流会でお喋りしたり。
きっとふらふらと生きているよりは、学生として何かを学んでいる方が、そういった人に出会う機会は多い。
もちろん、議論をするためには、私自身も面白い人間にならなければならない。
もっともっと、知識を深めて、自分を知って、意見を述べる習慣をつけていきたい。


以上のことから、将来の生き方について、アカデミックな世界との関わりを大切にしようと結論付けた。
だから、大学に戻る。そして、最大限に活用する。
大学以外にも、面白い活動ができないか、視野と行動範囲を広げていきたい。

私の価値観に、価値を見出してくださりありがとうございます。