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登場人物の記憶

本の中のひとと同じ体験をしたいとか、同じ記憶を持っていたいと思うことがある。
例えば以下に引用する文章をなぞりながら、そう考えていた。

幼いころ、ぼくは地元の図書館に通っては、自分の名前が表紙に書いてある本を探して何時間もむなしく過ごした。図書館には山ほどの本があり、さまざまな名前がその背表紙には記されているのだから、どこかに一冊くらいぼくの名前が書かれた本があってもいいだろうと思ったのだ。
ぼくには数字が風景に見える/ダニエル・タメット

こういう風に過ごしたという記憶に、もしかしたら僕もそうしていたかもしれないと思う。
そして、色の違った諸々にふれていたであろう自分のことを忘れ、その記憶に美しさを感じてあこがれている。

ひとの記憶にそんなに憧れるんだっけと不安になってこの感情を手繰り寄せる。
誰かと昔の話を交換したときのことを思うが、そんなことはないと思えた。ひとにはひとの乳酸菌、ひとにはひとの記憶である。

では何故と考えて、たぶんこうだと答えが光った。

本の中のひとの記憶は、文章に仕立ててあるからだ。本なんだから当たり前だけど。

表現が拙くともありきたりな文章でも、ただ事実(空想でも良い)が文章になって形を表してくれただけで、何というか神々しい。
ただそれだけで眩しくて、よく知りたいと思う。

本をひらけば読めるようになっているということ、奇跡のようだと思っていて。
事実(空想でもいいけど)は輝いて広がるので、その世界のほうを見ずにいられないのだ。

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