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いわゆる「百科事典的知識」について

前に書いた記事で、「蒸気機関車」についての「百科事典的知識」に基づいて、句中の「夏草」という語を解釈しました。

「百科事典的知識」というのは、認知言語学などで用いられる用語で、「事物に関して誰でも知っているような一般的な知識」を指します。

しかし、この「百科事典的知識」、いろいろと不思議な特徴があるように思われ、今回はそれについて書いてみたいと思います。

(1)ある日の授業風景

ある日の授業で、山口誓子の「夏草に」の俳句を取り上げて、次のような手順で授業を展開したことがあります。

①句中で使われている語の説明をせずに、「夏草」の生えている場所について発問する。
②句中で使われている「汽缶車」という語が「蒸気機関車」を意味することを説明する。
③ここで再度、①と同じ発問をする。
④「蒸気機関車」についての「百科事典的知識」を生徒に整理させる。(こちらからは一切教えない。)
⑤④で整理した知識を黒板に書き、それを共有しながら、さらにもう一度、「夏草」の生えている場所を生徒に発問する。

つまり、計3回も同じ発問をしたわけです。

①の段階では、当然ですが、生徒はまだ誰もその問いに答えることができません。しかし、その時の私は「③の段階ならば生徒は発問に答えられるだろう」と想定していました。だから、③で再度、同じ発問をしたのです。ですが、私の予想に反して、③の段階でも、生徒は発問に答えられませんでした。⑤の段階でようやく、生徒は発問に正しく答えることができていました。

これは何の変哲もない、いつもの授業風景のように見えるかもしれません。実際そのとおりなんですが、私が疑問に思ったのは、「蒸気機関車についての百科事典的知識を、生徒はどの段階で知ったのか?」ということです。

(2)百科事典的知識とは、いかなる種類の知識なのか?

上の④において、私はこちらからは一切教えず、ただ「蒸気機関車について知っていることを書き出してごらん。」とだけ言いました。そうしたら、多くの生徒は、

(1)蒸気機関車は線路の上を走り、駅で停車する。

と、正しくこちらが意図していた内容を書いていました。

こちらからは一切教えなかったわけですから、(1)の「百科事典的知識」は「生徒がすでに知っていた知識」であったはずです。しかし、問題なのは、それが「いつからなのか?」ということです。

③の発問をした段階では、生徒は「夏草はどこに生えているのか?」という発問に答えられなかったのに対し、⑤の発問をした段階では、それに正答できているわけです。すると、発問に対する答えが、(1)の百科事典的知識に依拠していると考える以上は、

(2)④の段階で生徒は新しく(1)を知った。

ということになりそうなものです。

しかし、上にも書きましたが、④の段階で私は生徒に一切の情報を与えていません。「知っていることを書き出してごらん」と言っただけです。だが、それならば、

(3)④の段階より前に、生徒は(1)を知っていた。

とならなければおかしいはずです。そして、この(2)と(3)は両立しません。

(3)暗黙的な知識と明示的な知識?

(2)と(3)を整合的に理解するためには、(1)の百科事典的知識に、以下のような「暗黙的」と「明示的」という2つの段階があると想定する必要があるのではないでしょうか。

(1a)蒸気機関車は線路の上を走り、駅で停車する。(暗黙的)
(1b)蒸気機関車は線路の上を走り、駅で停車する。(明示的)

このように考えるならば、上の(2)と(3)は、

(2‘)④の段階で生徒は新しく(1b)を知った。
(3’)④の段階より前に、生徒は(1a)を知っていた。

と書き換えられるので、整合的に理解することができます。

つまり、④の段階で「自分の知っている知識を整理する」という作業をすることによって、生徒の中にすでにあった「暗黙的」な知識(1a)が、明示化されて(1b)となり、生徒は(1b)に依拠して、発問に対して正しく答えることができた、ということではないかと思われるのです。

私は認知言語学を専門とする者ではありませんから、もしかしたら、専門家のあいだではすでに解決済みの問題なのかもしれませんが、考えていて、モヤモヤするところがあったので、疑問点の整理という意味でも、書いてみました。

認知言語学に詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示いただきたいと思います。

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