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牛乳の話①牛たちの幸せ

数年前に、「東北食べる通信」のイベントで「山地酪農」をしている

中洞さんにお会いして、お話の中で印象的だった言葉。

”酪農や畜産の動物は、ペットではない。家畜としての扱いや役割があるのは分かっている。でも、けっして工業製品やロボットではないんだよ”

がーん。となりました。何にがーんとなったのか、それは、「私自身がその背景を知らずにいかに無意識に牛乳を摂っていたか。」になのでした。

以下は、中洞さんのお話だけでなく本や自分の記憶から引っ張ってきた内容ですので、大まかな内容と私の感想として捉えていただけたらと思います。

現在はだいぶ少なくなっているそうですが、従来の「繋ぎ牛舎」。牛舎の中で、一頭ずつ柵などで仕切られた小スペースにロープなどで繋がれて、ほとんど身動きもできない状態で、一生のほとんどを過ごすこと。ちょっとどこかが痛くてもかゆくても、動ける範囲はせいぜい数十センチ。自分の後ろを振り返ってターンすることも出来ない不自由さ。そして、牛たちはそれが美味しいのか自分に合っている食べ物なのかなど選ぶ余地もなく目の前に差し出された餌を食べる。排泄する時も、繋がれているのでもちろんその場で。

人間の家で想像したら、トイレでごはんを食べて寝ることを強要されている状態。

東日本大震災のとき、放射能の危険性もあり、ペットや家畜を置き去りにせざるを得なかった悲しさを経験された方々もいたことをテレビで観ました。

そのことももちろん悲しいことなのですが、

その後、餌を与えられずに餓死した牛舎の牛たちは、みな同じ方向に顔を傾けて同じ方向に倒れて死んでいたという話もあるそうです。

本来、牛は動物だからそれぞれの性格があるはず。なのに、何十頭もいる牛たちが、みんな右ならえした状態で死んでいる。そんな状態を想像して、

「縛られて餌付けされてひたすら食べてお乳を出す」そういうシステムの中で育ってきた牛たちは、もはや動物としての個をなくしていたんじゃないか。私は、なんとも言えない気持ちになりました。人間で言ったら、思考停止・感情停止状態というか。

アニマルウェルフェアが日本でも注目されるようになり、ここ数十年の間に、大きく減少しているようですが、断尾(排泄時に尻尾が長いと衛生面に影響する為、根元から壊死させて切り落としてしまう方法)やカウトレーナー(排泄物の処理を効率化するために高圧の電流を流し、狭い空間の中でも姿勢を矯正させる)もまだ現代の酪農には残っているようです。(参考:農林水産省HP、農畜産業興振機構アンケートなど)

フリーストールやフリーバーン牛舎(牛舎の中で繋がずに過ごす方法)でも、十分な場所がない為に放牧される機会なく、狭い空間で一生を過ごす牛も約7割はいるとのこと。(平成26年時点)

もちろん、従来の繋ぎ牛舎飼いをしている酪農家さんでも、牛を可愛いと思って愛情持って接している方が大多数だと思います。そうじゃないと続けられないと思います。でも、私は、いきものとしての本来の牛の生き方に人がどこまで介入していいか、命の一部をわけてもらっている側として葛藤があります。きっと酪農家さんもそう葛藤しているんじゃないかな、と。たとえば放牧がいいのは分かっているけど、土地の広さや色んな事情があって仕方ない。

良い悪いじゃなくて、自分の心が無理なく素直に向く方向を選択できるのだとしたら、やはり私は、どのような環境で搾取されたのか分からなくて大量に出回り安価に売られてしまう悲しい牛乳ではなく、出来るだけ同じように「自分の心が素直に向くやり方」を選択している酪農家さんから、牛乳を購入したい。そう思っています。

ひとつ前の記事で、アニマルウェルフェアについては参考になりそうなリンクをいくつか貼ったので、もし良かったらご覧ください。


次回以降は、私から見た山地酪農の牛たちの様子などをレポートしたいと思います。


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