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「キャッチーで映える紅茶を伝えたいわけじゃない」

いつもよりちょっと過激な言い方から始まってる割に写真は映えているかもしれない(?!)けれど☆今の素直な気持ちを自分への自戒も込めて、書き留めておきたい。

紅茶教室をしていて思ったのは、「目に見えない、形の残らないコンテンツで仕事する」って、色んな課題があるけれどやりがいもあるということ。
人によっては形に残らないコンテンツを転用したり雑に扱ってくる場合もある。
そういう経験も勉強代だったから今はそういう人との出会いも感謝だけれど、やはり少し教室のあり方を変えていく機会になった。

これは私自身の根っこにある課題でもある。
確かに、見た目の美しさや物理的なボリュームは楽しさや満足感にも繋がる。でも、自分が日々感じている紅茶の良さを表現するコンテンツで共感してくれる人とできればつながりたい。そこに注力したいし、勇気だしたい。

「紅茶教室」というと、イギリスのアフタヌーンティーのような、繊細で華やかな陶磁器などの食器を使い、優雅なひとときをイメージされることが多いかもしれない。
アフタヌーンティーももちろん好きだし、紅茶文化を築いてきたイギリスの歴史的背景も興味深いと思うけれど、それは私の専門分野ではない気がしている。

以前、老舗の喫茶店で紅茶を注文したら、とても美味しい紅茶に出会った。失礼だが、そのご主人のぶっきらぼうな態度やキッチンの様子からは意外な美味しさだった。(本当はぶっきらぼうじゃなかったんだと思う。ただご高齢で耳が遠いとかうまく手が動かなくなってきたというのもあったと見えた。)

紅茶よりコーヒーの方が力を入れていそうな印象があったので、勇気を出して聞いてみたら、ご主人、若い頃にヒマラヤ周辺を登山していたそうだ。
現地の人はストレートのお茶を飲んでいて、「本当に美味しい紅茶には砂糖もミルクも何も入れないでおいしいんだよ」とストレートのホットティーを飲ませてくれた(という話だったと思う。細かい記憶があいまい)その味が美味しくて、自分でもダージリンを飲むようになったと。
私もその話にいたく共感して、出会ったこともないシェルパの彼が岩場で、ステンレスカップに入ったお茶を手渡してくれる姿が目に浮かんで深く心の中でうなずいたのだ。
紅茶とお付き合いしてきて色んな節目やターニングポイントがあるけれど、究極このシンプルさに帰っていきたいといつも思っている。

実際、個人的に日々楽しむ紅茶は、シンプルなストレートティーが多い。
茶葉の色んな味わいを一番ダイレクトに感じられるから。
(紅茶に含まれる香気成分だけでも、300~600種類以上とも言われている!)
そして、毎日飲んでも飽きないし、ナチュールワインと同じように(紅茶では「シングルオリジンティー」という)、同じ産地、同じ単一農園でも作るタイミングによって味わいは微妙に変わってくる。
それを今回はいまいちだね、とかじゃなくて、どうしたら美味しく淹れられるかとか、どのように飲み分けるのかとか、そういうことを自分なりに試行錯誤しながら楽しむのに、この7大産地のシングルオリジンのセイロンティーはぴったりだと思う。
そういうお茶の変化を楽しむ上でも、まず紅茶自体に、そして産地や味に、さらにはその産地の人たちの生活などにも興味をもってもらうきっかけとして、楽しみ方のひとつの提案として、「アレンジティー」を提供する機会を作っている。

でも忘れないようにしたい。
その工夫も楽しいし必要かもしれないけれど。
私が今伝えたいのは、「自然と人のかかわりが生み出す紅茶本来の味」を楽しむ行為そのもの。
そして私たちを温かく迎え入れてくれた一方、色んなカオスもあって愛嬌のある、あのうつくしい島のこと。
どうして惹かれるのかって、偶然出会ったのだから仕方なしだよね。
もっと表現力を磨いて、美味しい紅茶を追求するだけではない紅茶教室に育てていきたい。


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