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会いたいひとに会いに行く

「明日やろうはばかやろう」を痛感した。
私には、何人か心の師匠がいる。
特に「弟子入りさせてください!」と言ったわけではないし、具体的に何かをしていたわけでもなく、年齢も性別も関係なく幅広く、私が心から尊敬していて常日頃、自分の心の中で「あの人ならどうするかな?」と教えを乞うている人。
そのうちのインパクト大きめのお一人。
お茶目で、誰に対しても優しくて厳しい方。
もじもじして、目の前の予定に追われている状況に言い訳して、やっと勇気出して会いに行くアポを取ったら、その翌日に会えない人になってしまった。
さみしい。
もうあの笑顔に会えないなんて。
強いまなざしの気配がまだ私の記憶に鮮明で、より一層さみしさとくやしさがこみ上げた。
いのちの時間を人一倍大切にして生きている人だったように思う。
決してせかせかしていない。けれど、ゆったりとした大きな時間の流れの中で脳内は高速回転しているような、不思議な感覚が一緒にいると感じられる、そんな人だった。
「ほらね、だから言ったでしょう?」
とお茶目な真っすぐの瞳でおっしゃった気がした。

桜を窓越しから見ることができただろうか

「会いたいひとに会いに行く」
その後の私は瞬足だった。
動揺しながらも、翌日にはもう一人の心の師匠に会いに行っていた。
こんなに行動力があるんだったら、どうしてこのエンジンを数か月前から発動させなかったんだろう。
涙が拭ってもあふれるあふれる。
でも、みっともなくても会いに行きたい人がいるなら、今行かなければならないと言われている気がした。

年齢とか病気とか本当は関係なくて、誰しもがいつでも一期一会。
このことを痛感した。
新しい出会いも奇跡だけれど、再会もこれまた奇跡。

昨年もこのことを胸にしっかり刻んだはずなのに、かなしいかな、人は忘れるのね。
自分に自信がなくて、師匠の前で自分の至らなさをさらけることが師匠の時間を煩わせるのではないかと変な遠慮をしていた部分もある。
けれど師匠は、私の至らなさなんて百も承知だった。
それでも私に時間を割いて一生懸命お話してくれたし、ある意味ではその時間も楽しんでくれていたはずなのだ。
そのことにもっと感謝の気持ちを表したかった。
でも、もう直接お伝えすることはできない。
また師匠に喝を入れられて、飛び起きたような感覚だけれど、それがこの世を卒業された後だということに、なんとも言えない複雑な気持ちになる。
まだ宿題(勝手に私が楽しんでそう呼んでいたお題)も提出していない。
ただ私はいつも師匠の存在や姿勢から受け取っていたのは、肚の中に着火されたアグニ(消化する火)なのだ。



弱弱しい私の肚の火に薪をくべて風を通して、火を起こしてくれた。
この火は、花火の飛び火くらいの、師匠の全体からしたらほんの一かけらかもしれないけれど、ありがたくも今も私の肚の中で燃えている。
きっとこれからも、叱咤激励しながら火を起こし続けてくれるのだろう。
私さえ想いを馳せれば。
師匠から受け取ったどんな情報や知識よりも、存在や姿勢の中にあった信念や人への愛みたいなものが一番胸を熱くする。
私も、師匠のようにブレずに自分らしくパンクに生きたい。
そして大切な人を過不足なく大切にできる人でありたいし、色んな人との関わりの中で成長してゆきたい。
今年に入って、師匠に次にお会いしたら聞いていただきたかったお話がある。少しずつ、ここにも書いていくかもしれない。
師匠が私のアグニに着火してくださったおかげで、昨年から少しずつ起きていること。
出会った面白くて素晴らしい人たちのこと。
スロースターターな上に飽きっぽい私ではあるけれど、昨年から今年に入って確実に師匠との出会いが変化をもたらしてくれていたのだ。

変化の芽

今月のひとつの区切りとして、そして私がまたうっかり忘れないように自戒も込めて。
今一度私に言い聞かせよう。
「会いたい人に会いに行く」
「新しい出会いも、再会もまた一期一会」


写真 :  2106artlabo

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