見出し画像

ただ頼るだけ、それが出来ないんだよね。

先日、ライティング講座の講師の方と
個別相談ができる機会があり、
なかなか重い話を相談させていただきました。

(文章のテクニックや営業のノウハウだけでなく
マインドの面倒まで見てくださるのです)

その結果、抱えていた問題が
やっと解決へと動き出しました!


ここまで来るのに、合計2年…かかりました。

救いの手が差し伸べられて、
本格的に解決へと動くまでに2年ですよ。

長かったな…
いや、まだ終わってないんだけどね!


なぜそれほどまで月日が必要なのかというと
たぶん
私の器ができていなかったからだと思います。



仮に2年前の時点で
マインドを相談できる場があったとして
それに参加していたとしても

私は絶対に
アドバイスを受け入れたりしなかったでしょう。


でも、この2年間、私は努力しました。

主にこんがらがってる自分と向き合って
思考のゴミを掃除したり、気持ちを紐解いたり

食べ物に気をつけて、良い食事を心がけたり
お掃除を頻繁にするようにしたり(特に水回り)

暖かい気持ちで生きていくための道を
学ばせていただいたり…

おかげさまで、人間的に成長し、
器も大きくなりました。(たぶんね。笑)


2年前の私は
抱えている問題を話したところで
「どうせわからないでしょ?」みたいな
傲慢さと人間不信がありました。
(まだあるだろーけど笑)

でも、修行を重ねた今の私だからこそ
感情的になりすぎないで本当の相談が出来る…
そしてアドバイスを受けいれることができる…

きっとそう判断したから
本気でぶつかる覚悟ができたんだと思います。




なぜ私が心から気持ちを打ち明けて
相談できなかったのかというと

「問題は自分自身でなんとかしなくてはいけない」
という思い込みに洗脳されていたからです。

本来、日本人の精神性は「助け合い」
「困った時はお互い様」で助け合う、
というのが当たり前なんですが

第二次世界大戦に負けた後に流入した
外国の文化によって
「自分一人でなんとかする」に
書き換えられてしまったんです。

超すごい1強のヒーローが世界を救うっていう
「ヒーロー願望」を
持ってしまったと言いますか。

ヒーローはなんでも自分でやれちゃうから
助けてって言わないでしょ?


でもさ…


そんなの出来るわけないじゃーん!
「にんげんだもの」!笑




私もしっかり洗脳されていたから、
「一人でやらなきゃ!」
って精神にやられて、頼れなかったんです。

分からないことは
いくら考えても分からんのが当たり前。
一人でできるわけないんだから
ただ相談すればいい。


それだけのことなのに、できなかったです。


なんだろう、
「自分は一人で解決できるはず」
というプライドが
甘えを許さなかったっていうか。

あと、否定されたくなかったね。

「ここまで意地張ってきたンだから
もう引けない、なにを今更!」とか
「私は絶対に間違っていない!
迷いなんてないんだ!」みたいな?


でも、そんな「一人でやらなきゃ!」
の行き着く先は

常に不安にさらされる日々。
終わらない不安と恐怖。
見捨てられたような孤独感。
満たされない承認欲求。


どうしていいか分からない…虚無。


そんな迷路の行き止まりから
抜けるためには、
視点を変えて、天井をぶち抜かないといけない。

空を仰いで、天に祈る。
心から「助けて下さーーーい!!!」って。
神に祈る。


どうして良いのか分からないなら
神様に祈るしかないですよ。


そして、救いの祈りが届くように
神様が喜びそうなことはなんでもやる。

お掃除するとか
人が嫌がる事を代わりに引き受けるとか
毎日笑顔でいるように努めるとか。

つまり修行だよね。

そうして修行を重ねて自分を磨き上げ、
一定の器まで到達した時に
「きっかけ」を授けてくださるんです。

ちゃんと自分を磨きつづけていれば、
「きっかけ」に気づくことができ、
救いのチャンスを掴むことができるんです。


私はやっと
本当の意味でぶん投げることが出来たので
それこそどうなろうと
「カンナガラタマチハエマセ」です。
神様の御心のままに。

抱えているこの問題さえ終わらせることが出来れば、
今度こそ本当の意味で世の中のお役に立てる。

私をそういう人間に導きたいなら、
守護霊さん、もっと頑張ってくださいよ笑

私、けっこう繊細なハートの持ち主なんですけど?
いつまで苦しめる気ですの?笑

出来るだけ損害の少ない結果で終わらせられるように
しっかり導いてね?笑笑


じゃ、そういうことなんで。
今日はこの辺で。

またね( ^^ )ノ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?