奇跡の連続でここにいる

1度くも膜下出血が起こると、一旦 出血が止まってかさぶたになるので症状が治まったようになるが、36時間以内に再出血する可能性が高く
再出血が起こると死亡率が一気にはねあがると言われています。

私は、最初にくも膜下を発症した時に、救急車を呼んで病院に行ったにも関わらず、偏頭痛と誤診され、点滴のみで家に帰されてしまいました。

その日は海の日という祝日の土曜日で 小さな離島に住んでいた私のかかりつけの病院には、研修医しかいませんでした。
’明日一日ガマンして、月曜日になったら院長先生にもう一度診てもらおう’

そう思って、翌日の日曜日は家でバファリンを飲んだり、首をたたいてもらったり、今思えばいつ再出血してもおかしくないぐらい恐い行為をしていました。

そんな中、電話が鳴り、出てみると 私が行った病院の事務で働いている友人からでした。
とても親しい友人で 私が救急車で病院に行ったことも知っていたので、心配して電話をくれたのです。
「あのね、すごく心配だからこんな話するけど、聞いてね。
昨日Yちゃんを診察した先生は 研修医であまり評判良くないのよ。でも、今日の当番医の先生はとてもいい先生だから、もしまだ頭が痛いなら、今からでも病院においで」

夕方だったので、もう明日 院長先生に診てもらうまで待つか悩みましたが
意識はあるものの、やっぱりいつもと全然体調が違う。
フラフラした身体を夫に支えてもらいながら、車に乗り病院に連れていってもらいました。

確かに、前日の対応の冷たい先生とは全然違い(これはまた別の記事で書きます)
穏やかな先生で、私を見てまず
「目をつぶって両手を目の前ぐらいまであげてみてくれる?私が3秒数える間あげててね。1.2.3.。。。」

言われた通りにあげたのですが、あれ?おかしい。

何回やっても 右手だけガタガタ震えるのです。

「お、ちょっと待ってね。CTを撮ってみようか。もしなんともなければ安心して家に帰れるから、そうしよう。」

先生にそう言われて 私はその時まだそんなに不安は感じていませんでした。

いつもとは違う病気なのかなとは思ったけど、まさか命の危険がさしせまるような状況に追い込まれてるとは思いもしなかったからです。

初めて入ったCTの機械。
検査が終わって機会から身体が出てきてそのまま横になっている私の顔をのぞきこむように先生が一言。
「Yさん、もう動かないでね。くも膜下出血になってるから、動いたらダメだよ」

頭の中は真っ白。

え?先生今なんて言った?

くも膜下出血ってあの高齢の人とかがなる脳の病気じゃない?
なんで?どうしよう・・・私死ぬの・・・・

看護士さんはバタバタ急いでいて私の身体に点滴や装置などを取り付け
私には 今、血圧がこれ以上あがるのを防ぐために、とにかく落ち着いて呼吸するように言われました。

後ろで先生が夫に画像を見せながら説明しています。

「奥様は昨日の激しい頭痛と嘔吐の時点で この部分が出血していたようです。二回目の出血までに 脳外科のある病院までヘリコプターで運んで血管の手術をする必要があります。今が一番 危険な状態です。すぐ準備しましょう」

その時は意識はハッキリしていたので、話を聞きながら恐くてたまらなくて、でも、今もしパニックを起こして血圧が上がったら、すぐに死んでしまうかもしれない。

もし今死んだら子ども達はどうなるの? しっかりして私。
そう言い聞かせ、バクバク鳴る心臓の音を感じながら
ふー、ふーとひたすら深呼吸をしていました。

この後、救急車で空港に向かい、自衛隊のヘリコプターで脳外科がある所に向かったのですが
ここから先、私の記憶はとびとびになっていて、ヘリコプターに乗るまでどうしていたかは思い出せないし
1つ目の病院ではスタッフが足りなくて、2つ目の病院に運ばれたことも知らなかったし
手術の前に夫と会話したことも全く記憶にありませんでした。

気づいたら2日が過ぎていて、私はその2日間の間に
頭皮の半分を切って頭蓋骨を開け、出血した血管のコブをクリップで止める大手術を終えていました。

手術が成功したことも奇跡かもしれないけれど

私がくも膜下出血を発症してから一命をとりとめるまで
もっともっとたくさんの小さな奇跡が重なっていたのです。

まずは、発症の前日。
本当なら、夫は柔道の郡大会で、島外に行く予定だったのですが
台風が近づいてきていたので 行くのをやめていたのです。
もし、予定通り出発していたら、私の命の危機のときに夫はそばにいないところでした。

そして、私に電話をくれた友人。
その友人が病院で働いていなかったら、もちろん私に連絡くれることもなかったし
当番医の評判なんて知らないので、そのまま月曜日まで家で過ごしていただろうし、その間にもし再出血を起こしていたら、、、私は今 生きていないと思います。

さらに、台風です。台風が近づく日程が少しでもずれていたら、ヘリコプターは飛べません。病院への搬送が遅れて、手術が間に合わなかったかもしれません。

そして、恐れていた再出血。
幸いにも、手術中、頭を開いた時に再出血が起こったおかげで、すぐに止血できたんだそうです。



手術が成功した後、リハビリ中に、同じ脳卒中で入院中の患者さんとたくさん話しました。

その中でみんなが口をそろえて教えてくれたこと。

「くも膜下は発見の早さと最初に診てもらうお医者さんで命が助かるか決まるって言われてるんだよ。あなたは最初のお医者さんに誤診されて、2日も処置が遅れたのに助かったなんて、奇跡中の奇跡だよ!!!」


ほんとにそう。思い返せば奇跡の連続。
何かひとつ違えばって想像しただけでいまだに鳥肌が立ちます。


手術前の先生の説明では

出血した場所が左目の奥だから、左目はおそらく視力を半分失うかもしれない。
頭を開いてみて、もし手術が難しい場所であれば 手術できずにそのまま閉じるしかない。
手術が成功したとしても、右半身は麻痺が残る可能性が高い。

絶望的な言葉をたくさん並べられたと聞きました。



確かに、手術後の私はいろんな後遺症があったし
リハビリ中は人の手や目の前にあるものがどんどん伸びてくるように見えて
人の声は宇宙人みたいにしか聞こえないし
一度は後遺症の血管れん縮で意識を失いかけ、2度目の死の恐怖を味わったし、本当にどうなることかと思いました。

でもこうして今、その時のことを振り返ってタイピングできている自分がいます。

病気になる前の元気いっぱいの身体に戻った!!!とまでは言い切れませんが

暑い時期に右手がしびれやすかったり、頭が一日中雲っているような感じだったり
自分の症状がわかって うまく過ごせるようにもなってきています。

30代で脳卒中になるなんて、それこそ確率の低い出来事だったのかもしれないけれど
その後に次々に起こった奇跡が重なったおかげで私の命は助かりました。

記憶には無いのですが

タンカでヘリコプターに乗る直前
うつろな目で横たわっていた私が
泣いている子ども達二人に向かってこう言ったそうです。
「大丈夫だよ。お母さん必ず元気になって戻ってくるから、おりこうに待っててね」

母親ってすごいね、記憶がない時にそんなことが言えるんだもんねと
その場にいた姉から後でその話を聞いて、ますます
そのまま死ななくて良かった、また子どもたちの元に戻ってこられて良かったと泣きました。

本当は、今日この1日だって、奇跡の連続です。

何事もなく1日が過ぎる。
でも本当はその何事もないっていう目の前の出来事の裏で
たくさんの奇跡が起こっています。

「当たり前が奇跡」

こういう言葉ってよく目にするし
はいはい、そういうキレイゴトいいから なんて思われてしまうかもしれません。

でも私はこの経験をきっかけに、以前よりもそういうキレイゴトを大切に思うようになりました。

リハビリを終え、無事に家族のもとへ戻ってきてからの私は
朝起きて子ども達の顔を見るだけでウルウル。
授業参観や運動会の時は、もう涙をぬぐいきれないぐらい涙ぐんでしまうようになりました。

だって、もし助からなかったら 子ども達の成長を見ることはできなかったのだから。。。

6年も立つと

時々 そんな奇跡を当たり前と勘違いしてしまう時もあります。
そんな時こそまた不思議なことに タイミングよく
久々の頭痛が起きたり、右手がしびれていきなり箸を落としたり
私の身体が まるで 奇跡を忘れたの?と言っているみたいに気づかせてくれます。

今も見えないところで奇跡が起きています。

あの時助かった命を無駄にしないように
奇跡に感謝しながら今日も1日の家事を終え眠ります。

明日の朝も目覚められると信じて

おやすみなさい。



私の書く記事は多分、伝わる人が限られています。いじめ、機能不全家族、HSP、病気などの記事多めなので。それでも深くせまく伝えたくて書いています。サポートとても嬉しいです。感謝します。コメントも嬉しいです🍀