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人生の答え合わせ

資格試験など、勉強をしているとすぐ答え合わせをしたくなってしまう。
小学生の頃から、宿題の答え合わせをすぐしたがった。夏休みの宿題もすぐ済ませるほうだったが、付属の答えを見てしまうことがあった。
自信がなくて失敗したくないからだと思う。
勉強・テストには答えがあるが、
人生には「正しい答え」がない場合がある。
私が働いている介護業界では、人相手のお仕事で、入居者さんの数だけ正解があるし、同じケアでも職員さんによっても考え方が違って、テキストに載っているようなやり方も現場では違うと言われたりする。
入居者さん、職員さん、環境、状況によって「正解」が変わる。
他の人生のあらゆる問題も答えがない場合が多い。
その問題にぶつかったときに、自分が試行錯誤してなんとか乗りきって、何年後かに笑っていられるかで、自分の選択の「答え」がようやく分かる。
生きているとすぐに「答え合わせ」が出来ないことばっかりだ。

自分は迷うことが多くて、日々の仕事や生活の選択を間違えたと毎日後悔してしまう。
人生の選択は、今が完璧とは言わないけれどそれなり幸せで、あの時はその選択をするしかなかったと思うから、大きな後悔はない。
人生の大きな岐路での選択が正しいかったかどうかはもっと先にならないとわからない。 

自分の人生の答えなんて、最期にならないとわからないと思う。
それでもあの時どうすればよかったか、今の自分がこれでいいか、これからどうしていきたいか。
迷って答え合わせをしたくなる時がある。

そんな時私はどうするか。
文章を書いてきた。 
シンプルに紙に悩みごとを書いて、自分の中の答えを導けるときもあった。
こうやってnoteを書いていても、思いがけず自分の気持ちに気づくことがある。
もっと大きく複雑な心のモヤモヤをはっきりさせたいとき、私は小説を書いてきた。
小学生の頃は純粋にストーリーを考えるのが好きで書いていた。
中学生からは自分の中にあるモヤモヤをストーリーに反映させると、探していた答えが見つかった気がしてすっきりした。
生活が忙しくなって書けない時期が続いたが、また少しずつ書き始めている。 
内容としては、介護の仕事について今まで思ってきたことを形にしようとしている。
亀のペースでしか進んでいないが、自分の中にある答えを見つけるために完結させたい。
私は何の為に書いている?
誰かに読んでもらう為に物語をかけたら素敵だと思う。しかし今は自分の為でもいいから、小説もnoteも書き続けていきたい。
書き続けることで自分の答えが見つかれば良い。
答え合わせは最期で良い。
きっとその時の自分がしてくれる。

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