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私がインフルエンサーだったときの話をしようか。

5〜6年ほど前、私はインフルエンサーだった。
過去のアカウントは全て消してしまったし、今もたくさんの活動者がいるから私のことを覚えている人なんてきっといないだろう。


それでも、あのセンセーショナルな体験は何年経っても鮮明に覚えている。
インフルエンサーでいることはとても大変で、怖くて、若かった私には手に負えないほどの光栄だった。

今日は当時を振り返りながら、ぽろぽろと足跡を残してみようと思う。


「何者かになりたい」だけで始めたSNS。

私がインフルエンサーを目指した理由は至ってシンプル。
10年前はYoutuberやインスタグラマーといった新しい職業がちょうど増えていた時期で、一般人でも有名になれる!といった言葉があちこちで叫ばれていた。
キラキラした世界に憧れるのはもちろん私も例外ではなく、どんな形でもいいから有名になってみたいという漠然とした思いを抱えていた。


本格的にインフルエンサーを目指そうと思ったのは社会人2年目のころ。
新卒で入った会社にうまく馴染めなくて体調を崩し休職を余儀なくされた。

体調面での不安と時間に余裕ができたこともあって、とにかく手当たり次第にいろんな投稿をして試行錯誤の日々を繰り返すこと約2年。
休職のまま会社を辞めたあとはアルバイトを転々としながらも、夢を諦めきれなくてSNSだけはせっせと続けていた。

そして、たまたま当たったアカウントで私は晴れて匿名のインフルエンサーになった。


…正直今になって思うと、「なってしまった」の方が正しい気がする。

数字に囚われて自分が見えなくなる日々。

何者でもない私から脱却はしてみたものの、その先については何も考えていなかった。投稿する内容を考えてコメントやDMに返信をして分析ツールとにらめっこをするだけで精一杯で、ビジョンを考える余裕すらなかった。

当時からフォロワーが10,000人を超えると企業案件が来る、と言われていたけれどあれは本当の話。
有名な企業も海外のよく分からない会社からも頻繁にPRのオファーが来るようになる。

加えて同じジャンルのライバルも後からどんどん増えてきて、フォロワー数を抜かされる不安や嫉妬のような感情もどろどろと流れ出るようになってきて眠れない夜も何度も過ごした。


若さゆえの視野の狭さと、自己肯定感の低さでどんどん追い詰められた私は、受けていた案件を全て終えたあとに震える指でアカウントを消した。


これが半年でインフルエンサーになって1年後の出来事の一部始終。
あまりにも短くて、あまりにもあっけない終わり方をした。


でもこれが当時の私の等身大の実力だった。

今は、数字では測れないものを大切にしたい。

あの苦い経験からだいぶ経って現在私は「ほがらか」として活動している。
20代前半のギラギラとした野心はすっかり息を潜めて、一人ひとりと繋がれるような投稿を目指してせっせとnoteを書いている。

ある意味今が一番健康的な活動ができている気がする。

もちろんダッシュボードはちゃんと見ているし、スキをいただけるとすごく嬉しいのは変わらない。
でもそれ以上に投稿を読んでくれた人がどんな気持ちになるかとか、どんな作品を提供できるのかという数字では測れない心の部分を大切にしたいと思っている。


それはインフルエンサー時代の反省点でもあり、画面の先の「人」のことを考えられるくらいの余裕ができたからでもある。

あのときにそういうことを考えられたらよかったのになあ…なんて後悔することもある、でもたらればを言っていたって仕方がない。



ほがらかの1番の目標は、「本を出版すること」
本を出版して、必要な人の手に渡って、朗らかで健やかな日常を共に過ごす仲間を増やすこと。

長い月日が掛かったけれど、こんな素敵な夢と出会えたのだからインフルエンサーになったことも悪いことばかりじゃなかったかもしれない。



人生何が起こるかわからないね。

それもきっと生きることの醍醐味なんだろうなあ。


ほがらか



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