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10 「ご地層」で爆笑する陰キャのお笑い #喋ってなんぼ駒井の「独り言ちてなんぼ!」

音声は以下に上がっています! このnoteと同内容を喋ってますので、ぜひ音声でも聴いてみてください〜

https://u8kv3.app.goo.gl/Z85GP

小学生時分の思い出

 もう早いもんでこの「独り言ちてなんぼ!」も10回目を迎えたということで、いやはや、最初の投稿から1ヶ月以上経ってるんかな、ぼちぼち続いてるよな。あれからバイトが始まったりとか緊急事態宣言が解除されたりとか徐々に日常が戻ってきて、若干更新頻度が落ちがちっていう危なっかしさはあるんやけど(今日も1週間ぶりやし)、まあなんにせえみなさんいっつもありがとうございますっちゅう話やね。さて、今までの回のちょうど真ん中にあたる05で「ではでは出羽山脈」の話してたときに、その誕生の瞬間に立ち会っとった小学校時代の友人Tの話したん皆さん覚えてますかね。で、そのときも言うたんやけど、Tとは非常に仲良うしとって、というのも彼とは笑いの感性とかにかなりシンパシーを感じるとこがあったんよね。どっちかと言うと「陰キャのお笑い」的な側面でめちゃくちゃ波長が合った(と少なくとも俺は思っている)わけやな。俺は小学校のときもたまに漫才とかやってたんやけど、まあでも学校の中で披露するような漫才ってどっちかって言うたら「陽キャのお笑い」に寄っていくわけで、やっぱりその中で「陰キャのお笑い」部分を共有できるやつっていうのはめちゃくちゃ貴重なんよね(注:俺は陰キャとか陽キャとかっていうのはグラデーションであって、軽率に二元論で考える風習はよくないとは思ってるんやけど、ここでは大まかな傾向を端的な言葉で表現するために敢えて陰陽の言葉遣いをしています)。っちゅうことで今日は、当時Tとかと一緒におもろがっとった事象を振り返りつつ、なんで俺がそれを「陰キャのお笑い」と名付けてるのかについても喋っていきたいと思うわけやな。

花の都大東京への修学旅行

 さて、小6のときの修学旅行で我々の学年は東京へ行ったんやけど、当時の学年主任がかなり教育熱心なこともあって、非常に盛り沢山な内容やったんよね。国会議事堂、東京証券取引所、世界銀行、国土地理院と、ほんまこんなん小6に見して分かるんかいなみたいなごつい場所を訪ねて、ほんで宿泊も初日はお台場、2日目は横浜で、お台場の雰囲気とかも味わえたし、夜の中華街とかも行って、今から思ったらほんまに「奈良の片田舎から東京見物にきました」って感じの修学旅行で、でもめちゃくちゃ楽しかったんよな。ほんで、そんな修学旅行から帰ってきて直後の学校の昼休みかなんかに俺とTを含む何人かで廊下で喋ってたとき、Tが「修学旅行で何がいっちゃんおもろかった?」っていう話の振り方してきて、友達同士で喋ってんのにベタすぎる質問してきたその時点でもうややおもろかったんやけど(Tも笑いながら言うてた)、これってまあ実質的な大喜利やから(大喜利や思ってるやつはそないおらんかったやろけど)なんかおもろいこと言いたいな思っていろいろ考えた末に、「『ご地層』かな」って言うたところ、かなりウケたんよ。

誰も気にしてへんかった「ご地層」

 この「ご地層」っていうのは何のことかというと、2日目につくばの国土地理院にお邪魔したときに、そこの人の「地層っておもろいんですよ、だから我々は『ご地層』って言うてるんですよね」みたいな説明のなかでさらっと出てきたフレーズやねんな。この国土地理院、都会の華々しさに彩られた修学旅行において唯一つくばとかいう田舎に位置する施設で、ほんでなんかやっぱり国会とか証券取引所とかの方がいかつい見た目しとるから、正直そないみんなの印象に残ってなさそうな感じやったんよ。もちろん「ご地層」もみんなスルーしてたんやけど、でもよう考えたら「ご地層」ってめちゃくちゃおもろない? なんやそれ、飯でもなんでもないのに「ご地層」て。地層に「ご」つけても別に親しみやすくならんやろ。おったか?そんなやつ。「あっ、今まで全然地層に関心なかったけど『ご地層』って言われることで親しみ湧いてきました」みたいなやつ。おらんやろ。俺はもう「ご地層」以降一個も話入ってこうへんかったんやけど、でもみんなは黙っておもろがるそぶりをピクリとも見せずに話聞いとる感じやったわけで、ほんで別にそのあとホテルでその話が出るとかいうことでもなかったんよな。

なんで大ウケしたのか

 まあそういうわけで、この「ご地層」っていうのは大勢の人々からスルーされとったわけやねんけど、俺はあえてそのTらとの喋りでこのフレーズを出したっちゅうことやな。これは一種の賭けみたいなもんやねんけど、Tはこの「ご地層」をおもろいと思ってくれるやろうと思ったわけや。実際、「『ご地層』?」って言うた瞬間わろてくれて、もうちょい説明せなあかんかなとも思ってたから予想以上に嬉しかったわけなんやけど、その現場(国土地理院)では一切笑いになってなくて、なんなら後日その話しても「そんなんあったっけ?」みたいな感じでピンとこうへん生徒もぎょうさんあるような地味なコンテンツがなんでそんなウケたんやという話やな。でも、この「現場では笑いになってない」「大体のやつは気にも留めてない」という2点が、逆にその場のウケ量をカサ増しすることに寄与してたと考えられるわけや。すなわち、「俺らぐらいしかそれをおもろいと思わん」という事実が余計にそれをおもろく感じさせてしまうという側面があるわけや。

それは「内輪の笑い」か?

 これはいわゆる内輪の笑いか、と言われると、まあその通りではあるんやけど、ちょっと違うようにも思われるわけやな。名付けるなら、「超内輪の笑い」もしくは「対内輪の笑い」っちゅうあたりが適切かなと思う。これはどういうことかと言うと、「それよりもひと回り大きい『内輪』(というか社会というか)の存在を前提とした笑い」ということなんよ。「内輪の笑い」っちゅうのは、集団においてその成員が知り合い同士で、ある程度その場に流れる雰囲気みたいなものを共有してることに支えられてる笑いみたいな気がして、これは必ずしもカウンターとしての要素を孕むもんではないと思うねんな。例えば、「昨日3組の〇〇がうんこ踏んでな」とかいうことでゲラゲラ笑うんは確実に内輪の笑いやと思うんやけど、それは3組の〇〇の普段の様子とか属性とかを共有しててそれがフリになってるということやんか? 別に「3組の〇〇がうんこ踏んだとてそいつを知らん世間の人々は大しておもろいと思わん」という事実がフリになってるわけではないわけや。一方でこの「ご地層」は、「周りのやつはそれをさしておもろいとは思ってへん」という前提(フリ)に対して「せやのに俺らはそれをおもろいと思ってる」というズレが生じていることによっておもろさ(というか快感)が増してるというメカニズムがあるわけやな。言わば、ひと回り大きい内輪(社会)に対するカウンターのような部分があるということなんよ。

ほかにもこんなことでわろてた

 こうしたカウンターとしての要素があることによって余計におもろく感じてまうタイプの「超内輪の笑い」「対内輪の笑い」について、「ご地層」を例に喋ってきたわけやねんけど、ほかにも我々はいろんなことでわろてて、学校の図書室から「エルマーの冒険」っていう低学年の子らを対象にした児童文学みたいなんを借りてきて、それをみんなで読みながらおかしいとこ見つけてツッコんでいくっていうやつやったり、難しい言葉を知ったかぶって喋るやつのモノマネとして、事あるごとに「それ“可能性”やんな!“可能性”やんな!」って言い合うやつやったりとか、いろんなことしてたな。これらの例にしても、「みんなそんなことにおもろさを見出してへんやろ」という前提によって余計おもろく感じとったっちゅう側面が少なからずあるように思われるわ。まあこういうタイプやないことでちゃんと楽しむ文脈ももちろんようけあったんやけど、この系統の笑いはめちゃくちゃ多かったな。

「陰キャのお笑い」

 ほんで、こういう笑いのことを俺はしばしば「陰キャのお笑い」って言うてるんやけど、なんでそう呼んでるかと言うと、いわゆる「陰キャ」とこの「超内輪の笑い」「対内輪の笑い」との相性がめちゃくちゃええがゆえに、そういう層の方がこの笑いを展開しがちやと思うからやねんな。というのも、「陰キャである」っちゅう認識は一般に「真っ当に明るい人々に対しての」陰キャであるという感覚に基づきがちやと思うねん。というより、陽キャなんていうのは、こう、なんやろな、そうであることが良し、もしくは真っ当とされがちな風潮が世間的にあるせいでそもそも名前なんかついてなくて、陰キャという言葉が誕生してからその対概念にあえて名前をつけるなら...ぐらいのテンションで設定された単語であって、つまり陰キャへのカウンター意識はそんなにないと思うねんな。一方で、陰キャは陽キャへのカウンター意識がぼちぼちある傾向にある。この関係性がなんとなく感じられるゆえ、陰キャの方が「超内輪の笑い」「対内輪の笑い」をやりがちやと思うわけやな。

割とあるあるやと思うねんけど

 ただまあそう呼んではいるものの、この笑いは結構ありふれてるんちゃうかとも思うわけで、誰もわろてへんけどめっちゃおもろいやん、みたいな場面に遭遇して、その感覚を共有できそうなやつとだけ共有する快感なんてみんな感じたことあるんちゃうかな。大勢にウケる笑いもそらもちろんおもろいねんけど、周りがそないおもろいと思ってへんことが逆にスパイスとなってよりおもろさを感じる笑いもまたええんよな。でも、「周りはそないおもろいと思ってへんけどめっちゃおもろいこと」を喋ったときに、それを聞いた(もともとそれをそないおもろいと思ってへんかった)みんながそのおもろさを「再発見」できるってのがいっちゃんおもろいやつの喋りやと思うから、それができるようにこれからも精進し続けたい限りやね。っちゅうことで、今日はこの辺で。次回も楽しみにしといてください、ではでは出羽山脈〜〜


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