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ブラタモリ日記その24 「埼玉・行田 #242」 (2023.7.15)

いやはや、なにかと忙しかったのと夏バテで更新できなかったブラタモリ日記。でもタモリさんも夏休みのようで放送もお休み。日記が溜まらなくてよかったわい。

さて今回の行田。やはり見どころは、古墳時代に作られたとされる金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)と、小説「のぼうの城」の舞台となった難攻不落の城、忍城(おしじょう)。

まず金錯銘鉄剣だが、古墳時代にはすでに日本人は鉄の剣を作っていたというのがミソ。というのも、のちに世界が大航海時代に入ると、欧米列強はアジア諸国をつぎつぎと植民地にしていくのだが、植民地にされた多くのアジア諸国は鉄を作れていなかったらしいのだ。

では、ほかのアジア諸国が戦争でなにを使っていたかというと木の棒や、木と石で作ったヤリ、弓など。それに対して列強は、鉄の剣どころか鉄砲まであるのだから、そりゃ相手にならんわけだ。

そんななかで、日本は古墳時代から鉄の武器が作られるほど文明が発達していたのだ。そのおかげで植民地にされることがなかったとも言えるのだから、我ら日本人のご先祖さまに感謝のひと言しかない。

つぎに難攻不落の城、忍城。映画化もされた小説「のぼうの城」の舞台となっている。小説は史実にだいぶエンタメ要素が加えられているが、しかし歴史の流れとしては忠実に描かれている。

番組をみていると、どうもタモリさんは忍城の存在を初めて知ったようだ。番組をずっとみていると、知ってるときのタモリさんの反応と、知らんときのタモリさんの反応がわかるようになってきた。

まちがいない、あの反応は知らんときの反応だ。いやまて、テレビ的に知らないふりをしていることも考えられる。う〜ん、しかしもうこの際そんなことはどうでもいい。大事なのは、テレビに映るタモリさんが忍城を知らないで、それをみてるボクが知ってるということだ。

いや初めてだぞッ。本番組で、タモリさんが知らんことをボクが知っているなんて。いつもタモリさんの博学ぶりに感心していたが、なんだろ、今回のこの優越感は。今までは生徒気分だったけど、初めて先生気分を味わえたぞ。うはうはうは。

……いやはや、まあ笑ってくださいな。こんなことで優越感にひたってしまうボクの小人ぶりを、ははは💧

ともあれ、小説を読んだときはそこまで思わなかったけど、ブラタモリ観たら忍城、むっちゃ行きなくなったわ〜。

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「埼玉はじまりの地 行田ってどんな所?」

行田市埼玉(さきたま)→ 県名のゆらい

流域面積日本一の利根川、世界最大の田んぼアート、ゼリーフライ

丸墓山古墳

丸墓山古墳 → 日本一高い円墳

石田三成が忍城攻めで陣をかまえた場所

さきたま古墳群

さきたま古墳群 → 5世紀〜7世紀ころ、東日本最大級の規模

稲荷山(いなりやま)古墳 → 金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん・国宝)

金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)

(表)辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比
(裏=写真)其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也

辛亥年(しんかいのとし)→ 西暦471年という説が有力

杖刀人首(じょうとうじんのおびと)→ 王の警護隊の隊長

何年に作られたと書いてあるのは、日本だけでなく東アジア全体でみても珍しい

消えた酒巻古墳群 → 6世紀〜7世紀に築かれた(23基)→ 利根川のすぐそば → 利根川の土砂が流れてきて埋まった

富士山、関東平野、赤城山、足尾山地、これらの山に囲まれて、酒巻古墳群の場所だけ真っ平ら

関東造盆地運動 → およそ12万年前、関東平野は海の底 → 隆起によって陸地になる → 周囲の陸地のスピードが早かったため、周りが高く中央がへこんだ洗面器状の地形に → 低くなっているところには周囲の山々から流されてきた土砂が溜まる → 酒巻古墳群が埋まる


御三階櫓(ごさんかいやぐら)
忍城本丸跡

忍城 → 堀だらけ、水が豊富で広大な平地 → 田んぼを作るのに最適な場所 → 「防御」と「生産」


忍城の絵図
忍城の模型

小田原合戦(北条 vs 豊臣)

秀吉の命令で石田三成 2万の軍勢が忍城を攻める

石田堤(いしだづつみ)
石田堤の地図

石田堤(いしだづつみ)→ 水攻めをするために三成が築いた堤防(全長14km)

自然の地形を利用して堤をつくったため長い堤になった

権威を誇示するため、水攻めに固執した秀吉

関東に数多くあった北条氏の支城の中で、最後まで落城しなかった

足袋のまち行田の古地図

江戸時代、武士の町が「忍」、町人の町が「行田」と別れていた

行田たび → 日本の7割の生産高、今でも出荷量日本一

綿花の生産がさかんだったことから足袋をつくる

仕上げをする職人の像
行田たび

南は江戸・八王子、東は日光につづく街道 → 交通の要衝、宿場町 → 破れた足袋を買いかえる

宿場町から足袋の町へ

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