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ブラタモリ日記その43 「敦賀 #253」 (2023.11.4)

今回のブラタモリは福井県敦賀。敦賀って地名、歴史にまつわる本かなにかで聞いたことがあるのだが、それが何だったかがどうしても思い出せない。そこでネットで調べてみた。

「日本書紀」……ちがう。松尾芭蕉「奥の細道」……知らん。と、そこであったのが杉原千畝。あぁ、これだろか? リトアニア領事代理だった杉原千畝は、ナチスドイツによる迫害からユダヤ人を日本へ逃がすために日本へのビザを発給。

ビザを手にしたユダヤ人は、シベリア鉄道でウラジオストクへ向かい、そこから日本海を渡ってたどり着いたところが敦賀だという。「欧亜国際連絡列車」だ。そういや杉原千畝は、本だけでなく映画も観たからなぁ。

さらに調べると、ほかにも日本が初めて参加した五輪、ストックホルムオリンピック。金栗四三がヨーロッパへ渡ったルートもこの「欧亜国際連絡列車」だという。大河ドラマ、観たでぇ〜。視聴率悪かったようだけど、ボクは楽しく観させてもらったでぇ。これだろか。

でも、「敦賀」を文字として記憶してるからには、たぶん前者か? う〜ん…いや、思いちがいかもしれんが、ま、この際どうでもいいや。そう、番組でもあったように、敦賀はヨーロッパへとつながる玄関口なのだ、うんうん。

もう一点気になったのが、北海道の昆布を北前船で運んで、敦賀で加工することで名物おぼろ昆布が誕生したというくだり。北海道産という付加価値に、タモリさんはすかさず「(職人の)技術料も」と口にした。

この職人の「技術料」という付加価値についてだが、その世界で生きてきた者として言うが、食の世界というのはこの職人の「技術料」という概念がなさすぎると思うのだ。これは提供する職人だけでなく、消費者にもいえる。

「安くておいしい」とか「コスパがいい」ことをすばらしいとする価値観。これがどれだけ職人を疲弊させるか。低価格による低利益、そして低賃金。これでは人が定着せず、培われた技術の伝承もうまくいかない。

以前、なにかの回でもタモリさんは、「職人を大切にしないとね」と発言している。タモリさんはきっとそのことをよく理解されてるのだろう。職人推しなんだな。

そうそう、番組内でタモリさん言ってたけど、若いころデパートで、おぼろ昆布の実演をずっと眺めていたことがあったという。タモリさんの職人に対するリスペクトが垣間見える話なんだな。


「すべての道は敦賀に通ず?」

来年3月に北陸新幹線
金沢〜敦賀が開通


氣比神宮(きひじんぐう)

氣比神宮大鳥居 → 江戸時代初期(1645年)に建立。国の重要文化財

もともとは境内の北東に鳥居があった → 北から来る人を迎える鳥居

氣比神宮絵図
(赤∶現在の鳥居の位置 紫∶江戸時代の鳥居 )


渤海の使節団航路

渤海(ぼっかい) → 727年(奈良時代)から約200年にわたり、渤海は日本に外交使節を派遣した

敦賀は古代日本の玄関口


敦賀湾

敦賀湾からは水平線が見えない → 深く入り込んだ湾の奥に港 → 波が立たないので港に最適

海のある北は高くて南は低い → 浜堤(ひんてい)

風の力でできた高まりは砂丘
波の力で打ち上げられてできた高まりは浜堤

古代は低いところに海が入りこんでいた → 船の管理・監視ができる


おぼろ昆布

敦賀名物おぼろ昆布 → 全国で生産される約8割が敦賀産 → 0.01mmの薄さ

北前船 → 日本海側を航行し、北海道〜大阪間の港で商品の売買をした商船

北海道〜大阪で本州をグルリとまわると年に1往復しかできない → 敦賀でおろして大阪に運ぶと年に2往復できる

敦賀に大量の北海道昆布が集まって加工したことによって、おぼろ昆布が誕生

幕末になると外国船が出没 → 下関戦争などで大阪まで北前船で運ぶルートが使えなくなる → 敦賀から京都へのルート

疋田舟川

疋田舟川(ひきだふながわ)→ 敦賀から疋田までの6.5kmを舟で荷物を運ぶ水路(江戸時代はもう少し広くて3メートルくらい)

人手のわりには多くの荷物を運べないため、わずか10年で廃止

柳ヶ瀬トンネル

新たな輸送路 → 鉄道

金ヶ崎(敦賀港)↔ 長浜 ↔(びわ湖水運)↔ 大津 ↔ 京都

金ヶ崎に旅客もやってくるように


赤レンガ倉庫


金ヶ崎駅停車場

金ヶ崎停車場跡 → すぐとなりに敦賀港

敦賀港 ↔ ウラジオストク ↔ ヨーロッパ

欧亜国際連絡線

欧亜国際連絡列車 → 東京から切符1枚でヨーロッパまで行ける

東京からパリまで船だと40日のところ、連絡列車によって17日で行けるようになる

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