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ワシ流 にいがたブラタモリの旅 その1 「亀田砂丘」

今回から「ワシ流 にいがたブラタモリの旅」なる日記を記していこうと思う。ブラタモリが終了したということで、今度は自分でブラタモリするのだ。

本当は全国をめぐりながら、タモリさんが見た景色、タモリさんが歩いた道を確認する旅をしたいのだが、いかんせんワシにはまだ新潟での生活がある。

子どももまだ学生だし、住宅ローンもたっぷり残ってるしで、そうやすやすと家を開けられない。そこで一応「旅」と称しながらも、まずは地元新潟をブラブラ歩いてブラタモリしようと思うのだ。

そこで記念すべき第一回目は、ワシの自宅のある新潟市江南区亀田の「亀田砂丘」。どうやら「ブラタモリ#45 新潟編」でタモリさんはこの亀田砂丘を歩いたようなのだ。

……ようなのだ、というのはワシ、この放送観てないのだよ。くぅ゙ぅ゙〜ッ。セレクションでの放送もなかったし。だからきょうは、タモリさんが歩いたであろう、タモリさんが見たであろう、と想像で歩かなければならないのである。ブラタモリ全放送の1/5しか観てないのが本当に悔やむところだ。

さて、気を取りなおして、いや、じつはきのう亀田郷土資料館へ行ってきたのである。そしてそこで衝撃的な事実を目の当たりにしたのだ。な、な、な、なんとッ、8000年前の亀田は砂丘のある海岸だったというのだッッ。


約8000〜6000年前の新潟
赤点が亀田

ええええーッ、もろに海岸じゃないかッ。そして今の古町・万代・新潟駅周辺はすっぽり海の底。どうやら8000年前の地球は氷河期が終わって温暖な気候となったため、海水面が上昇して内陸まで海が侵入したらしい。

現在の海岸から亀田までの距離は約10km。8000年前の新潟は、今よりそんなにも海岸が内陸だったのかい。これももしかしたら、ブラタモリの亀田砂丘のくだりで紹介されたかもしれないな。

そんな亀田の海岸には信濃川と阿賀野川から流れる土砂によって砂浜ができ、そして海からの風で砂があおられて砂丘ができたというのだ。うへぇ〜、知らんかったわ。で、その砂丘って亀田のどこよ?? 


亀田郷の砂丘分布


阿賀野川から信濃川の砂丘列

砂丘分布の図にある「新砂丘 Ⅰ 」が亀田砂丘である。そして亀田砂丘は前列・中列・後列の3列あったようだ。そして余談ながら、ワシの実家のある石山にもどうやら石山砂丘という砂丘があったようだ。うへッ、こりゃおどろきの連続だよ。

ふと、ここでひとつ気になることがでてきた。以前から気になっていたことではあったが、亀田には「山」のつく地名が多いのである。茅野山、砂山、船戸山などなど。もしかしてこれらの地名は亀田砂丘からつけられたのか??

あったぞ、あったぞ。こんなサイトを見つけた。どうやら亀田周辺に「山」のついた地名が多いのは、やはり亀田砂丘に由来しているようだな。

茅野山、手代山、砂山、船戸山、西山、城山などなど。また亀田のお隣である、石山、中野山もふくめて、みな標高わずか7〜8メートル程度の砂丘の跡地だったようだ。

現在の感覚では、標高7〜8メートルを「山」と呼ぶには大げさで、わずかに盛り上がってるだけの単なる高まりのように思うだろうが、むかしはそんな高まりが貴重だったようである。そう、ここら一帯は亀田郷という、腰や胸までぬかるむ沼地が広がっていたからだ。

亀田郷

そのため、「山」と呼ばれるわずかに高い砂地だけが人間の住める場所となり、そこに人びとは集落をつくり、農業を営んでいたのだそうだ。

へぇーッ、タモリさんが言ってた「地名はその土地の記憶」ってのは本当なんだなぁ〜。

っと、長い長い前置きはここまでにして、本日、その亀田砂丘の痕跡の残る場所へ行ってきたぞよ。ここだッッッ


新潟港横越線(赤道)から見える藤山

横一線に木がしげっているあの高まりが亀田砂丘の痕跡である。場所は藤山。おおおッ、ここ、車で何度も通ってるでぇ。え、ここって砂丘だったのかい。


同じく新潟港横越線(赤道)から見える砂山

砂山にも高まりはあるのだが、藤山と比べると小さい。でもここも車で何度も通っているが、今まで一度もこの高まりが何でできたのか考えたことなかったわ。

そして、まずは砂山へ。

砂山の高まり


登り坂になっている


こちらは下り坂


わかりにくいかもしれないが、登り坂


この先は下り坂の道

このように砂山の高まりは、画像ではわかりにくいくらいほどゆるやかな高まりである。でもブラタモリを観てると、タモリさんはこんなゆるやかな高低差にも敏感に反応してたなぁ。スゴいなぁ。

そして次は藤山。


こちらはわかりやすい高まり
右が道路、左からゆるやかな傾斜が始まる


砂山と比べると急な登り坂


藤山のほうが砂丘らしい傾斜である


竹林が続く


丘の頂上
竹林が広がる

おお〜ッ、なんかスゴいぞ藤山。ていうか、藤山のこの高まり、今まで何度も見てるのだが、なんだろ、これまでなんとも思わなかったばかりか、ぜんぜん目に止まらなかった。

ところが、ここが8000年前は砂丘だったのだと思うと、見えてくるもの、感じるものがぜんぜん違うぞッ。

そして先ほどの砂山と比べると、こちらのほうが傾斜が急で丘らしくなっている。おそらく藤山は、もともとの砂丘である標高7〜8メートルがそのまま残ってるのだろうか。ここが砂丘の痕跡だといわれれば、うん、納得だよッ。

また気になったのが、竹がたくさん生えてることだ。砂丘の防風林として松が植えられるのはよくあるが、この竹もその防風林の役目なのだろうか。こういう疑問がわいたときに、ブラタモリのように専門家さんがいればなぁ、と思うのである。


竹林のすき間からわずかに見える風景
8000年前はここから海が見えた……はず

そして8000年前は、ここから間近に海が見えたはずである。今はなんてことのない風景だけどね。そしてだんだん海は引いていって、こんどはこの先の石山・中野山付近に砂丘ができることになるんだな。

そう考えるとすげぇな、8000年って……。たしか橋本環奈さんが「1000年に1人の美少女」とかいわれてたな。ってことは、橋本環奈8人分だよッッ。……ま、それだけスゴいってことよ。

そして帰り道……

梅見台ニュータウンの入口

ここは城所インターを降りてセブンイレブンを越えたすぐの場所。自宅から1kmあるかないかの場所で、こここそ毎日のように通っている道。

!!!

たいへんなことに気づいてしまった。この道、わずかながら高まりになってるではないか。亀田砂丘は、茅野山〜砂岡〜砂山〜藤山〜蔵岡のラインである。そしてこの梅見台ニュータウンの入口って……、まさにこのライン上ではないかッ。

おおおッ、マジかッ。こ、こ、これは亀田砂丘ではないかッ。こんな、こんな近くに亀田砂丘の痕跡があったなんてッ。梅見台に住んで20年。ワシはいったい梅見台のなにを見て、なにを知っているのか。いやなんも知らなんだな。がく然とするわ。

こんなワシですが、「ワシ流 にいがたブラタモリの旅」、ガンバります。きょう歩いた道で、タモリさんも歩いた道、あるかな……。

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