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考えごと日記その30 「パークス伝」「岩倉具視」を読みながら考える

いま「岩倉具視」「パークス伝」の2冊を交互に読んでるのだが、まだ序盤にもかかわらずおどろく内容が2点あったので記しておく。

まず1点目(パークス伝より)。外国人を討ちはらえと攘夷の先鋒だった長州藩。じつはなんと外国大好き藩だったのだ。では列強四国と戦った下関戦争はなんだったのか。それは単に嫉妬からくる幕府への嫌がらせだという。

貿易で栄えた長崎のように、長州も外国と貿易をしたがっていたというのである。外国と貿易すればお金ガッポガッポだからね。つまり長州藩は外国人オールオッケイなのだ。いやはや通説とは真逆ではないか。

ところがその貿易を幕府は許してくれない。下関の開港を認めないのである。そこで長州藩は下関を通る外国船を砲撃すれば、開国を目指す幕府が困るだろうという、幕府への嫌がらせが下関戦争だというのだ。おいッ、子どもかッッ。

そして2点目(岩倉具視より)。そもそも幕末の混乱というのは、幕府が開国をする方針に対して朝廷が反対したのが要因。孝明天皇が大の外国人嫌いだったからと云われている。その孝明天皇、なぜそんなに外国人が嫌いだったのか。

ていうか、じつは孝明天皇は外国人がとくべつ嫌いというわけではなかったというのだ。えええッ、 孝明天皇はとくに思想などというものもなく、単に自己主張をしたかっただけだという。え、どゆこと??

江戸時代、徳川幕府の支配下にあった朝廷は関白が幕府の協力者として、天皇がおかしな考えをおこさないように監督してきたのだという。つまり天皇は幕府の言いなりで、政治にはいっさい関与せず蹴り鞠や和歌をたのしむような生活をおくっていた。表向きは天皇をうやまっていたが、実際は天皇を支配していたのだ。

ところが孝明天皇、このとき26歳。公家たちは幕府の言うとおり開国で同意しようとするなかで、自我が目覚めたのか、いきなり反対を言い出したという。そりゃ朝廷は大騒ぎさ。

孝明天皇にとってまわりの公家たちはみな自分より年上だ。いつもは言いなりだが、今回は自分も積極的に発言して政治にかかわろうとしたというのだ。そこにはたぶん若さゆえのナメられたくないという思いもあったにちがいない。

いや悪いことではないと思うよ。自我が目覚めて自己主張するのは大人になった証でもある。しかしそれによって日本中が大混乱になったのだ。なんだろなあ。

要するに、攘夷の先鋒といわれた長州はじつは外国と貿易をしたがってて、下関戦争をおこしたのは幕府への嫌がらせ。日本中が攘夷運動で大混乱になったのは、大人になった孝明天皇の単なる自己主張。それを勤王思想である水戸藩が話を大きくしたということなのかな?

ま、そんなもんだよ歴史なんて。人間の金儲けや嫉妬や怨恨、内輪揉め、それを勝者や後世の人びとが美化するのが歴史というものなのだ。この2冊ともめっちゃおもしろいので、このあとなにが書かれているか楽しみッ。









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