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ブラタモリ日記その37 「北九州 #249 #250」 (2023.10.7)(2023.10.14)

今回のブラタモリは2週連続で北九州。江戸時代の北九州は真ん中を境に、東が豊前、西が筑前に分かれていた。豊前を治めていたのは細川忠興。そして筑前は黒田長政。このふたりがまた仲が悪かったようで、それがのちの北九州の歴史にも大きく影響したようだ。番組1週目の前編は主に豊前の小倉、2週目の後編は主に筑前の若松と八幡をブラブラ歩く。

前編の小倉で気になったのは「常盤橋」。常盤橋は、長崎街道・中津街道・秋月街道・唐津街道・門司往還の5つの街道、通称「小倉の五街道」がすべて集結しているという。さらにここに流れる紫川には多くの船が来航し、水運としても重要な場所。つまり九州屈指の「交通の要衝」だったという。

江戸時代の文化の発展で大きく貢献したのに北前船がある。それと同じように「街道」も重要だったのでは、と最近考えるようになった。ブラタモリを観てるとよく出てくるワードに「交通の要衝」がある。それは街道と街道が交わるポイント。そこには人の往来が多く、また情報も多く行き交うため、文化の発展には欠かせない重要なポイントだったように思うのだ。

その点で、常盤橋周辺はまさに九州の玄関口としてたいへんにぎわい、本州と九州の架け橋として日本文化の発展に大きく貢献したのだろう。北前船と同様に街道も勉強したいと思う。

後編はやはり八幡製鐵所の話だ。細川と黒田の争いが時を経て、八幡製鐵所の建設にも影響したのには驚く。当初、八幡の洞海湾は干潟のように浅くて大きな船が入れないため、製鐵所の建設地は豊前の門司に決まりかけていたという。

ところが筑前出身の財界人らが岩崎弥太郎、渋沢栄一の力をかりて、洞海湾をしっかりした港にすることを条件に八幡への誘致に成功する。そこから八幡は時代の波にのり、ぐんぐん発展していくのだ。う〜ん、世の中カネなのだよ、カネ。

そんな筑前と豊前の派閥争いも終止符をうたれることになる。門司から八幡へ帯状につらなる北九州工業地帯ができると、その工業地帯が異なる市にまたがっていては税金や光熱費などで都合が悪くなる。そこから五市合併の案が持ち上がり、1963年、北九州市が誕生する。

ま、表向きは合併によっていい感じになってるが、どうもウラでは大揉めに揉めたよう。筑前と豊前の時代から脈々とつづく犬猿の仲なのだ。番組の最後でもタモリさんは言っていた。「また出てくると思う。筑前豊前問題が」。歴史って重いなぁ〜、根深いッ。


「合併メガタウン 北九州市誕生の秘密とは?」

【前編 #249】
五市合併 → 1963(昭和38)年合併。門司市・小倉市・戸畑市・若松市・八幡市

今年で市制60年、人口90万のメガタウン

世界でも稀な合併 → 人口トップ60に入っている大きな都市が合併した → 対等合併

小倉城

小倉城 → 細川忠興

堀のすぐ横に堀、幾重にも堀、守りを固める

北は海、東は川


道の曲がった商店街

城下町にも守りを工夫 → 正方形の街区、基盤目状の町割りは京都を手本に

実際は少しだけ道が曲がっている → 城に近づくほど見通しを悪くしている → 中途半端

忠興としては基盤の目も大事、しかし守りも大事

競輪、パンチパーマの発祥地


常盤橋
江戸時代の常盤橋絵図


常盤橋 → 長崎街道・中津街道・唐津街道・秋月街道・門司往還が集結 → 交通の要衝

小倉は九州の玄関口 → 城を堅固につくる


筑前と豊前の国境

北九州の真ん中が筑前と豊前の国境

細川忠興と黒田長政が対立

豊前は語尾に「ちゃ」、筑前は語尾に「ばい」

北九州市が二つの国でできていることが、北九州市誕生の重要なカギ


遠賀堀川

筑前黒田藩による大土木工事

山の切り通し

およそ400年前、長政が洪水対策に人工河川の遠賀堀川をつくる → 2万石アップ

年貢米を米蔵がある若松へ運ぶ水運としても利用


石炭

石炭(黒いダイヤモンド)→ 筑豊炭田

明治時代、日本の石炭のおよそ半分を産出 → 蒸気機関車や蒸気船の重要なエネルギー源

明治ピーク時は、年13万隻が遠賀堀川を通って石炭を若松に運ぶ → 日本一の石炭積み出し港、若松市誕生へ

【後編 #250】
若松市は当時、日本中から注目される場所に

もともと平地が少ない若松 → 山の斜面に宅地を開発


洋館不可住宅

洋館不可住宅(大正〜昭和15年頃)→ 港湾都市で多く見られた(横浜、神戸、函館など)

一般住宅も洋館不可住宅 → 石炭で潤った高揚感

鉱滓レンガ(こうさいれんが)

鉱滓レンガ(こうさいれんが)→ 鉄をつくるときに鉄鉱石が溶けたあとに出てくる副産物の鉱滓をかためた焼かないレンガ

八幡製鐵所でつくったレンガ


八幡製鐵所

明治34年、日本初の本格的な官営製鉄所

鉄は近代化の要、一大国家プロジェクト


八幡製鐵所地図

洞海湾の南側に製鉄所

大量の石炭の輸送に便利な八幡と門司が最終候補に

八幡は建設地として絶望的 → 昔の洞海湾は干潟のように浅かった → 積み出しに不便

筑豊の炭鉱王・安川敬一郎
政治家・的野半助
官僚・金子堅一郎
華族・黒田長成
全員筑前出身の4人が岩崎弥太郎、渋沢栄一の力をかりて長官たちを説得

洞海湾を港にすることを条件に八幡への誘致に成功
 

八幡製鐵所の旧本事務所

八幡製鐵所の旧本事務所 → 世界遺産


日本に現存する最古の鉄鋼建築物

工場 → 日本に現存する最古の鉄鋼建築物

輸入した鋼材を矯正するための修繕が必要だったため、最初に修理工場が建つ

鍛冶工場 → 建物の組み立てに必要なスパナやハンマーなどの工具を製造

八幡村の人口約1000人 → 20年で10万人

明治32年 門司市誕生
明治33年 小倉市誕生
大正3年   若松市誕生
大正6年   八幡市誕生
大正13年 戸畑市誕生


北九州市誕生

明治44年、路面電車が開通

大正時代に工場の動力が蒸気機関から電力へ

路面電車の会社が発電所・変電所を設置 → 工場は電車の送電網から電力を得る

工場が門司から帯状に連なる → 北九州工業地帯

北九州工業地帯が一体となって発展していくには五市合併 → 北九州市誕生


国境石

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