見出し画像

ブラタモリ日記その46 「松山 #29」 セレクション(2016.1.30)

今回のセレクションは四国でもっとも人口の多い街、松山。その松山といえばやはり、みかん、伊予柑が真っ先に浮かぶ。そしてシンボルの松山城……といきたいところだが、個人的には「坂の上の雲」だ。

松山は秋山真之、その兄の好古、そして親友の正岡子規が生まれ育ったふるさと。この若者3人は東京で一旗揚げようと松山を離れ上京するのだが、秋山兄弟は軍人として出世していくなか、正岡子規は落ちこぼれていくんだな。

そこから子規は真之とはまったく別の道、俳句に活路を見いだす。しかし病をわずらい死がせまるなか、子規は生き急ぐかのように次から次に俳句を生み出していく。秋山兄弟が戦場で敵国と闘っているあいだ、子規は死を目前にした己と闘うのである。それが哀しくて哀しくて…… って、話が脱線してしもたわ。

さて今回の松山で特筆すべきところは、やはり城下町の基礎となった石手川の洪水対策だろう。松山城を洪水から守るために作られた大きな土手の痕跡。そして石手川の水深を深くするために川底の岩盤を削った痕跡。

なかでも石手川の川底の工事だが、200mにもわたる川底をなんとトンカチとノミだけで削るという……なんとも気の遠くなるような工事だ。川底の岩盤を削ったときに出る石くず1升を米1升と交換するという条件で働く人々のモチベーションをあげ、たった1年で完成させてしまったという。馬にニンジンのことわざがあるが、それに猪木さんの言葉を拝借して、「ニンジンあればなんでもできるッ」だな、こりゃ。

そしてもう一点気になったことがある。これは松山とは関係ないことなのだが、じつはタモリさんのことだ。今回の松山の初回放送は2016年1月。約8年まえの映像である。

いやね、こうして8年まえの映像を観て思うのは、現在のタモリさんと比べるとずいぶんと滑舌や歩く姿がシャキシャキしてるんだな。そしてそれはタモリさんが年々衰えていることがわかってしまうことでもある。いや、これはね、しょうがないことなんだけどね。

タモリさん、現在78歳。ああ〜、いや、この年齢を考えれば衰えたとはいえ、やはりこうしてまだ現役でテレビのお仕事ができてるのだからぜんぜん元気なんだな。さらにほかにも番組やられてるし。しかも冠番組だし。タモリさんにはまだまだ元気な姿で、無理しない程度にわれわれ国民を楽しませてほしいのだ。いやホントに。


「四国一の街・松山はどうできた?」

松山城


松山城の場所

松山城天守 → 松山市の中心に位置する標高132mの勝山の上に建つ

江戸時代の天守閣が残存する貴重な城


加藤嘉明

加藤嘉明(1563〜1631)→ 秀吉のもとで活躍した武将。関ヶ原では家康につき松山の大名に。

四国でいちばん大きな街(人口51万5000人)

松山城ができる前は広大な湿地帯 → 江戸時代から400年で四国最大の街へ

道後温泉、夏目漱石「坊っちゃん」、正岡子規のふるさと


土手の痕跡

扇状地で頻繁に洪水がおこるため土手をつくる


人力で掘り下げた川底

川底を深くすることで洪水を防ぐ

ノミでコツコツと200m掘った

石くず1升と米1升を交換することによってモチベーションを上げ、1年で掘り上げる → 松山の城下町の基礎ができあがる

伊予絣

伊予絣(いよかすり)→ 日本三大絣のひとつ。江戸時代から続く松山の伝統工芸品

三津の渡し

三津の渡し → 三津と対岸の約80mを結ぶ市営渡船

町屋は間口が狭くて奥行きが深い

全国各地の豪商が三津に集まった → 松山の物流の拠点に

籠置石 → 殿様が来訪した際に籠を置く石 → 殿様がお忍びで句会をひらく → 由緒正しい家であることを示す

殿様が俳句を奨励した土地柄

三津との繋がりが松山の発展を支えた


三津
松山観光名所



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?