009-服が入らないと世界から否定された気持ちになる

 twitterで#マイサイズをフレンドリーに、というハッシュタグをみて思ったこと。そこには、過去の私と同じ悩みを抱えている人の投稿が並んでいて、その中には、社会が「普通」と認める範囲からあなたははみ出してますよって言われてるようだ、という声があった。本当にずっと私はあらゆる面で「普通になりたい」って悩んでた。普通の1つの基準がこれだったんだなと思った。

 物心ついた頃からぽっちゃり体型の私。人生で一番痩せた時期は、歯列矯正をしていたすぎて食べられなくなったときだった。それでも別にほっそりしたわけじゃなく、普通体型になっただけ。食べられるようになったらすぐ戻った。

 中学の時の制服のスカートは太ったらホックがかからなくなってスカート折り曲げて落ちないようにしてた。ホックがかからないなんて恥ずかしくて必死で上の服で見えないようにしてたな。お直しもできたはずだけど、親にも恥ずかしくて言えなかったのを思い出した。

 10台の頃、洋服屋に行くのも本当に苦痛だった。嫌すぎて、緊張が強すぎて、めまいするレベルだった。試着して、服が合わない自分を直視すると本当に泣きたくて死にたくなってたことを思い出した。身長が小さくて華奢な女の子しかかわいくないと心底信じ切っていたし、背が高くて骨格もがっちり骨太の自分は可愛い女の子の要素がないどころか、対極を言ってることにも絶望しかなかった。

 だから、その販売されている洋服の普通サイズのカラダになることができたら自分は普通になれるんだとしがみついたことが苦しいダイエット地獄にはまり込んだきっかけやったな。美しさを追求とかそういうことじゃない。普通になりたかった。普通のサイズの体が欲しかった。そしたら社会から認められる普通になれると思ったし、普通の女の子としても生きていいと思ったから。

 服に自分の身体を無理に当てはめるって地獄だよね。開き直ったときは、服に私が合わないんじゃなくて、服が私に合わないだけやんって思えたんやけど。
 いまは本当に素敵な時代で、ネットでプラスサイズでも可愛い服や靴が売っている!!! だから引け目を感じず、自分のカラダにあった服に出会えるようになってきた。

 こうやって理想像が、並外れたすごい人間になりたいみたいなところにあるものは特定しやすいけど、普通になりたいって、なってもそれほど当たり前と認知されるようなレベルのものが理想像だと特定しにくいなって思った。
 見つけたら、いまはその普通の当たり前以下の基準の自分なんだっていう事実を突きつけられるような気がして怖いから。

 でも、どんな理想像でも特定できてしがみつくことを辞めることができたら、心が落ち着いて真実が見えてきて、服が自分に合わないんだって気付いた時のように、自分に合ったものを選択するっていうことができるようになってくる。それを見つけて、この自分の魅力を引き出すものや方法に目が向くようになる。

 でもまた、出産して産前の服が似合わなくなってきてしまってるから、また自分のアップデートで似合うもの、見つけ直すタイミングに来てるのかもしれないなー。産前と同じ私、にはやっぱりなれない。過去の自分にしがみつくのもやめようって思った。
 メイクも今の自分に似合うメイクを教えてくれる人を見つけたいといまは思ってるところ。

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