012-自分を生きる、にしがみつき

 前回記事で気づいた、「良い生き方」という生き方をしようと思ってしがみついてたことに気づいたけど、さて、良い生き方って具体的に私はどんなことを思ってるのかとみて行くことにした。

 そこで出てきたのは、具体的なものではなく、これまで出会った誰かが良いって言ってた価値観だったり、周りから褒められた行動だったり、良いと誰かが評価したことの寄せ集め、それをコンプリートしたら「できる人になる」ことができて、結果良い人生になると思ってたみたいだった。

 もう、漠然としまくりだし、コンプリートなんか私じゃなくてもどんな人でも無理な話なのに真面目にしがみついて、何かができていたとしても、私はまだまだ自分が寄せ集めたスーパーウーマンみたくできる人になっていない、と自己批判しながらずっと生きてた。

 無意識にしがみついてたから、今までのわたしの頭の中のデータで、できる人をしてる人に出会うと、その人の目っていう自分の目を使ってものすごい批判が湧き上がって劣等感が湧いてくる。できる人になろうとしがみついてたのかー。死ぬまでこうやって生きるつもりだったのかな。

自分を生きることにまでしがみついてた

 自分の本質を生きたら人生が流れ出す、これは自分の人生で体感したことで、過去の成功体験でもあった。それまで無理やり動かそうとした案件は全てするすると手に入りそうになった瞬間、指の間からすり抜けて行くようにうまくいかないようになる人生ってものから、本質を大切にする生き方に切り替えたら、その時願ってた物が全て手に入ったからだった。

「自分軸っていうものをしっかりもった自分はどうしたいかをわかっている女性」っていう、自分の心からブレない生き方が良いと思い込んでいた。

 でも今から振り返って思うと、ものすごく心がアップダウンして、うまく行ってる瞬間はアドレナリン出まくりの刺激的でハッピーで幸せな時間が訪れるけど、それが終わると、またそれが欲しくなって頑張る、の繰り返しをしてたように思う。平穏な心、っていうものからは遠かったかな。ある意味それ以前の生き方と、そうやってものすごく自分をブラさないでとにかく勢いよく行動しまくるっていうことをすることでバランスが取れたんやと思う。いけいけゴーゴー!!!だった。挑戦するっていう刺激が私を満たしてた感じ。

 それが出産という節目を迎えて、その勢いだけではやれなくなってしまった。ある意味そういう流れは強制終了? 自分の心的にもやりたくなくなっちゃったしな。でももうあの生き方をずっと続けて行くには限界があるなーと、アラフォーと言われる年齢に差し掛かって思い始めたから、生き方を変えて行くタイミングになったってことだろうね。

 このタイミングで4つのステップに出会って、また人生でいらなくなったしがみついてた概念を落とすっていうことに集中してるってことは、もう、自分が本当はどう生きたいのかわかってるんだなって思った。合わないコミュニティにいてるときは冒頭に書いた過去の「できる人」になろうとしがみついてた苦悩が湧き上がってしんどかっただけで、それも結局は自分はどう生きたいか、美しい心に戻ると自分に合ったものを選ぶ感覚は今でも健在だし、しっかりハートは反応してくれてる。

 できる人を目指すんじゃなくって、今取り組んでるようなもっと深く本質に触れたことを私はやっていきたいって思ってて、自分の人生を社会で輝かせることを諦めない、みたいな思想は自分の色と違いすぎて苦しくなってたのもあったんだろうな。あの達成する刺激はいまはもういらないってなってる。それより、穏やかな心に戻れること、を大事にしたい。かと行って、心だけが平穏であれば良いとは思ってなくって、しっかり現実にも結びつけた自分にもなるってことは絶対大事にしたいと思ってるところ。美しい心で目の前の世界を見て、私はどんな自分を選んで行くんだろう。それが今から楽しみでもある。とにかく、いまは過去になろうとしてしがみついてる理想像はぜーんぶ落とすつもり!

 自分を生きたら人生ができる人になって成功するんだっていう理想像も、もうしがみつくの、やめやめー。
 自分を生きよう、なんてさ、意識しなくても、もうすでにいつだって自分を生きてるってことだね。

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