014-コントロールできたら依存症はなくなるという勘違い

 ダイエットやめたら痩せた、という経験をしたことがあって、食べ物に食べていいものとダメなものをわけるのをやめる、ということをまずはじめにやった。
 そのほかに、カラダにいい物とか、食べ順とかそういうしなければいけない基準のダイエット知識もすべて捨て、お菓子をご飯にするとかも、ダメって言われてることですら、自分の衝動がそうしたければそれに従った。
 そのとき、過食したくなったら、してもOKにしてた。どんな自分の反応も受け入れて、していいよっていうのをルールにした。ごはんのあと過食しても罪悪感が沸く前に、「あー、たくさん食べたなー!、ハイ終わり」と、事実だけをみるだけ。

 はじめは食べたら食べただけ太った。でも、「あげどまりがある」ということを聞いていたので、それを信じてやめなかった(怖かったけど)。そういうやり方を許していくと、過食する回数や頻度が自然と減っていった。なくなったわけじゃなかったけど毎日出るっていうのはなくなったな。

 そうしていた中で、甘いものはやめられることなく加速して行った。過去に甘いものを禁止しまくってたから、その反動がすごくて、糖尿病になるんじゃないかってレベルで甘いものばっかり食べてた時期があった。あきらか糖質過多で、美容で言われる糖化とかヤバい状態だったんじゃないかと思うのだけど、カラダはどんどん痩せて行ったし、筋トレとかのしんどい運動は一切せず、カラダをゆるめるゆるゆるのボディケアだけをして、スタイルは綺麗にもなっていって、甘いもの食べたら太るはイコールではないんや、と、その時思い込みから解放された。

 ただ、ダイエット情報で自分をストイックにいじめすぎたせいで、未だに食に関しては向き合うことができず、体重が増えたからダイエットしよう!ってなると、ものすごい抵抗感が湧き上がってきて、それだけで過食衝動スイッチがいまだに入ってしまうのだ。だから、あれ以来わたしは食べ物に制限をもたないようにしてる。痩せはしないけど、好きなものを好きなだけ食べてもそこまで増加するっていうことはなくなったから。

 産後の体重が増えたことで戻したいと思っても、食からのアプローチはいまだカラダからokが出ないので、できないし、やれないままなのだ。もう、食事制限がトラウマになってしまってるのよね。
 ただ、いつかは食に向き合いたいとおもっている。本質を大切に食事をすることを選べるようにわたしはなりたいんだ。

 そこで向き合ってみたのが、依存症のことだった。4つのステップでも、この欲求の衝動をなんとかできるのかと疑問に思ったことがきっかけ。

 苦悩と美しい心しかないのなら、あきらか過食衝動は苦悩の最たるもの。苦悩以外の何者でもない。そう、これがヒントやった。

 過食することが苦しいのではなく、過食をなぜするのかってところだった。甘いものやジャンクなものって、脳の報酬系を刺激して快楽を感じさせることができる。そのカラダの仕組みを使って、あの快楽の刺激を求めて過食するのだ。

 わたしは、「快楽をコントロールして自制できるようになる」という理想像にしがみついて、コントロールすらできない自分という苦しさを食べることで和らげようとしてました!

 わたしの場合は過食やったけど、ギャンブルとか買い物とか、アルコールなどの依存症の裏にあるものって、結局理想像のしがみつきで起こってるだけやなって思った。

 依存対象をなんとかしようとしても根本が変わらないのは理想像にしがみついてるからそこの解放がされない限り、また依存症は発症するとおもう。依存症の人って、自分自身をコントロールすることができるっていうところにしがみついてるんとちゃうかな。

 依存で悩んでる人がまずすることは、コントロールなんてできないんだ、ということを受け入れることがまず大事なんやね。コントロールできるなんていう理想像を手放して、自分の声を聞いてあげて、いいも悪いも判断なくそうである自分を許す。そうして行ったら、自然と依存症も影を潜めるのではないかな、とおもった。




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