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エボサイ氏の「ワンチャン子供が死んでもしゃーなし」発言に対する考察

問題のツイート

このツイートには言うまでもなく多くの批判が寄せられ、私も目に入るやいなやすぐにリプと引用RTで批判を行いました。

何が問題なのか

批判の多くは倫理的、社会的問題を理由にしており、批判しているように見せて賛同しているような意見も数多くありました。

残念ながらツイート主のエボサイ氏は倫理的問題を突っ込まれることは最初から想定内であり、むしろそのような批判は褒め言葉だと受け取って喜んでいるはずです。

はっきり言って科学的には正しいけど倫理的にはアウトだよねっていう批判は批判に見せかけた賛同であり、同じ穴のムジナです。

多くの人が「ワンチャン子供が死んでもしゃーなし」という文面に釣られて感情的な反応に終始していますが、問題の核心はそこではありません。

この主張には経済学的な誤りと生物学的な誤りがあり、両者は密接に関係しています。

当記事では、経済学的考察と生物学的考察に分けて多産多死を容認することで起こる問題を解説します。

経済学的考察

予備があれば少々失われてもいい?

4人ぐらい子供がいたら1人ぐらい死んでもいいよな、というのがエボサイの主張です。

この考え方自体は一般的であり、お菓子を家族につまみ食いされてもいいように多めに買ったり、スマホが壊れてもいいように2台持ちするということはみんなやってると思います。

車が2台あれば変な運転で事故って壊しても安心だし、家を3軒ぐらい買っておけば1軒ぐらい燃えても平気なので家の中でバーベキューできるね!

あれ?

赤ちゃん1人産むのにいくら掛かると思ってるんだ

子供を産んだことがない人、そもそも産むことができない人、産ませるまではしたけど後のことを全部奥さんに丸投げしてる人にとっては穴に棒を差し込めば勝手に生えてくるぐらいの認識なのかもしれません。

もちろんそれは大きな誤りです。

赤ちゃんを1人産むためには様々なコストがかかってきます。

正確な計算は難しいですが、妊娠中や出産時の医療費、妊娠中働けなかった分の逸失利益、母体が背負う様々なリスク、出産一時金などを合わせれば全部で1000万円は確実にかかっていると思われます。

つまり赤ちゃんの製造原価は1000万円以上ということになります。

多産多死社会=1000万単位の損失が頻繁に発生する社会

赤ちゃんが死ぬということは1000万がパーになるということです。

しかもこれは産まれたての赤ちゃんの話であり、年齢が上がるごとに費やしたコストも増えていくので、それだけ亡くした場合の損害は大きくなります。

実際に子供を作った張本人が負担する費用は半分以下なので、1000万という数字にはあまりピンとこないかもしれません。

しかし子供を作らない人も含め社会全体で税金という形でこの費用の大半を肩代わりしております。

自分の子供を虐待したり殺すような親があとを絶ちませんが、半分以下のコストしか負担していないこともその大きな原因ではないかと思ってます。

だから途上国は貧困から抜けられない

途上国、特に貧困な国ほど乳幼児死亡率が高いことはよく知られています。

貧しい国は医療インフラが不十分だから乳幼児死亡率が高いという説明がよくされますが、乳幼児死亡率が高いせいで多くの社会資本が失われて貧困から抜けられないのもまた事実です。

農作物や工業製品を作れたはずの労働力が子供を産み育てることに費やされ、しかもその多くが無駄になっているようでは貧しくならないほうが不思議でしょう。

日本が途上国並みの多産多死社会になることは即ち途上国そのものになることを意味します。

しかも少産少死を前提とした社会構造となっているだけに、その結果は途上国の中でもぶっちぎりで悲惨な状態になります。

生物学的考察

多産多死社会の問題点を経済学的観点から考察しましたが、次は生物学的観点から考察します。

人の生殖コストは異常なほど高い

読者の一部の方はこう思ったかもしれません。

「嘘つけ。過保護だから余計なコストがかかってるだけだ。ハムスター飼ってた友人から増え過ぎたからと3匹もらったこともあったぞ。」

人間以外の動物は野生動物も家畜も含めて生殖は人間より遥かに容易で、医療に頼る必要もなければ妊娠中の体調悪化に苦しむこともほとんどありません。

まさしく穴に棒を差し込めば勝手に生えてくるぐらいのノリで産むことができます。

しかも生まれてから生殖ができるようになるまでハムスターは2~3ヶ月、ネコは4~8ヶ月程度です。

人間は法律を無視しても安全に生殖できるようになるまで15年はかかります。

なぜ人間の生殖コストはこんなに高いのか、これを解説すると何枚も記事が書けるほど長くなるので別の機会に記事にしようと思います。

少産少死戦略は難産に対する適応

繁殖コストが高いことの解決策は次の2つがあります。

  1. 繁殖コストを下げるように進化する

  2. 少産少死戦略でカバーする

人類が選んだのは2でした。

「ワンチャン子供が死んでもしゃーなし」発言にあれだけ嫌悪感あふれるリプや引用RTが付いているということは、人類の本能に少産少死戦略が刷り込まれていることの何よりの左証であると言えます。

したがって人間社会が多産多死に転換するのは生物学的に見ても合理的ではありません。(進化や科学技術の発達によって1に移行しない限りは。)

批判とそれに対する反論

私が引用RTやリプで当記事の批判したところ、それに対していくつかクソリプ批判が寄せられましたので反論しました。

ツイッター上での議論は冗長になりがちなのでここに要約してまとめます。

批判:多産多死は人類本来の状態だから問題ない

狩猟社会は人類本来の状態だから問題ない、と言ってるのと同じです。

狩猟社会では到底今の人口を養うことができないように、多産多死は資源の無駄が多いので現代の人口では持続可能ではありません。

そもそも多産多死は生産調整ができないため、これが人口爆発の大きな原因にもなっています。

批判:途上国は命が安いので大した損失ではない

ドルベース、円ベースで見ると物価や賃金が驚くほど安い国があり、そういう国では赤ちゃんの製造原価も安くなります。

しかし購買力で補正すれば全く安くないのでそのような議論には意味がありません。

例えば赤ちゃんの製造原価が日本の1%以下の10万円でも年収が10万円なら1年分の年収を丸々失うのと同じです。

批判:途上国の貧困の原因は乳幼児死亡率ではなく政治の失敗

真ん中に「乳幼児死亡率ではなく」が入ってなければ正しかったのに惜しいですね。

乳幼児死亡率が高いのは往々にして政治の失敗が原因なので、政治の失敗のせいで乳幼児死亡率が高くてその結果貧困になっていると言うなら合っています。

あとがき

製造した商品のうち売ることのできる完成品の割合を歩留まりと言いますが、子供がたくさん死ぬ状況というのは歩留まりが低いと言えます。

農業にせよ、工業にせよ、歩留まりを上げることは喫緊の課題であり、どの業界も少しでも歩留まりを上げる(不良品、破損品、廃棄品をなくす)ことに躍起になっています。

これは言うまでもなく歩留まりが収益に直結するからです。

子供についても同じことが言えるはずですが、なぜ歩留まりの低下を許容したほうが生産性が上がるという考え方が跋扈するのか不思議でなりません。

いや、もしかしてみんな社会の生産性なんかに興味がなく、ただ現世に絶望した結果として原始時代への回帰幻想を持ち始めているのかもしれません。

もしそうだとすれば、かつてのカンボジアの悪夢を想起させます。

危険な思想が一見もっともらしく見える論理を装って歴史上の悪夢を再び召喚せんとする状況は絶対に避けられなければなりません。

専門から離れてかれこれ10年以上経ちますが、科学者の良心の片鱗を呼び覚まして当記事を執筆しました。

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