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私、失敗したいので。

“恥の少ない人生を送ってきました。”

トライアンドエラー。
プログラミングでは当たり前のことである。どれだけ努力したって一発でエラーのないプログラムなんて書けない、否、そんなことに神経を遣うより、ゴリゴリ書いてチェックは走らせながらor機械に任せるほうが速くて正確だ。
インターネットの通信方式にしたって、たいていは「ベストエフォート」=「善処します(あるいは、最大限の努力はします)が結果は知らんがな」そして、途中で伝送失敗したら、もう一回チャレンジする。そういう方式だ。

ITは、失敗する前提で成っている。
その前提を、人生に対しても適用していれば当然、つよつよの人類が生まれるだろう。だから業界人達には無闇やたらと強い人が多くて、相手にするときはいつもたじろいでしまう。
それは私が、エラーが最小限となるような選択肢しか選んでこなかったせいかもしれない。ひたすらに、失敗を避けてきた。"選択は、その結果(未来)をみてするのではない。信念(過去)を鑑みてするもの"なのに。

「成功したい」<<「失敗しない」
「失敗しない」選択を重ねてそこにたどり着いた同類たちと仕事をし、「失敗しない」ことで偉くなってきた上司たちに囲まれている日々を続けると、「失敗しない」ことを最優先で考えるのが当然になってゆく。

ある程度経験さえ積めば「失敗」することは少なくなり、都会では道端でコケることもコケる人も珍しくなってしまった。
あまりにも「失敗」が怖くなりすぎた、あなたがたとわたしの、「成功したい」という功名心よ、どこへ行った?帰っておいで。

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今日と同じ明日、今年と同じ来年が当たり前な、辞める/エスケープ/ドロップアウトなんて1ミリも考えたことのない、まっとうで優しい不自由な人たちは、「自由って大変だよ」と心配されて必死に引き止めてくれる。だけど、私は、胸を張って「私、失敗したいので」って、言い続けたい。
だから、「醜態を晒すのに慣れる」ことに挑戦するよ。
私にとっては、自由な状態よりも不自由な状態の方が大変なのだと、証明するために。

「私、失敗しないので」より、
「私、失敗したいので」が流行る世の中になればいいのにな。


いま、挑戦しては失敗しまくっている眩しい君へ

ほかるより

「明日の世界に何が起こるかわからない。そして、そのことがわれわれを密かに喜ばせるのである。」----オルテガ「大衆の反逆」

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