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【文字起こし】大竹まこと ゴールデンラジオ! 宮台真司氏(2023年8月30日)

【前略】

大竹まこと氏
これは問題というよりも、『君たちはどう生きるか』は私たちの間でも、おもしろい、おもしろくなかったと話題沸騰しておりますが、話を聞かせて頂いてもよろしいですか?

宮台真司氏
まずね、僕はすごくおもしろかった。
僕が知る限り小学生のみんな達は非常におもしろがっている。
ところが大人達の多くはね、まあ映画館から出てくるときの会話を聞いてみてもね、浮かない顔でよく分かんなかったねえっていうふうに言っている。
すごく残念なことだけども、宮崎駿監督はそういう連中に対して憤怒を抱いているとういうこと、これをまず申し上げておきます。憤怒、憤りです。
でですね、この作品自体は見た瞬間にわかるのは、不思議な国のアリスと同じモチーフです。穴に落ちて下の世界に行くと、色んな「でたらめ」を体験します、と。
でその後、穴の外に出てくるんだけれど、アリスのラストで言えば、でも穴は本当にありました、つまり穴の中で体験したものは、ただの夢ではなくって現実だったのです、っていう終わり方、これは全く今回の宮崎作品と同じなんですね。
ところで皆さん気を付けて頂きたいのはね、アリス・イン・ワンダーランドで色んなのが出てくる、チェシャネコとか変なネズミとかトランプの兵隊とか出てくるけれども、それについてね、あっこれは〇〇のメタファー、隠喩、例えであるとかっていうふうに当てはめしますか?そんなヤツ見たことないよね。
ところがクリストファー・ノーラン監督の映画『テネット』と同じで、動画解説と称して所謂当てはめ、だから「アオサギ」はこれを意味していてぇ、「ペリカン」はこれを意味していてぇ、おばあちゃん達はこれを意味していてぇ、で継母とかね妹はこれを意味していてぇとかってね、ひたすら当てはめをしているんですよ。
これはどういうことかっていうと、穴の下に落ちて体験したデタラメはデタラメではなくて、すべて筋の通った、簡単に言えば構成された世界観なんだというふうに言おうとしているんですよね。
でも僕はお笑いだね。
そういうふうに見ていたら、この作品の・・・、例えば子どもたちがね、「すっごおもしろかったよ!」「どこおもしろかったの?」「それがよくわかんないんだけど、ともかくおもしろかった」・・・、そうデタラメがおもしろいんだっていう本質を見逃すことになってしまうんですね。

こっから先は学問の話をしますね。
当たり前のことではあるけれど、子どもって命令されるの嫌いでしょ。決まりに従うの嫌いでしょ。で、デタラメ大好きでしょ。これはねえ、もともと古い時代の大人もそうだったんだっていうふうに考えるのが適切なんですね。
ところが僕たちは1万年前から順次定住することになったんで、定住っていうのは農業が支えた、だから農業ってスケジュールと共同ですね、コラボレーションが必要なので、決まりが要ります。
同じように農業ってなんで定住を支えるかっていうと、収穫物があるから、収穫物ってストック、たまっていくんだけど、その保全、配分等をめぐる紛争回避のルールが必要ってことで、定住すると我々は法生活を送るようになるんですね。
でもこれって、言葉で語られた法に罰は嫌だから従うっていうね、非常に不自由なもので、昔の大人=子どもらしさ からみると、明らかに拘束、つまり軛(くびき)なんですよね。
なので、つらい、生きづらい、だから必ず定期的にお祭りをする。息抜きでもあるけれども昔の身体性、心のはたらきを思い出す。日本のお祭は僕は大好きでたくさん取材兼ねてまわっていたことがあるんだけれど、やっぱりお祭はもともとは地元の人のもので、観光するのも構わないけど邪魔しないでくださいねっていう人がね、80年代、90年代ぐらいまではとても地元にいっぱいいたし、特に御柱祭っていうのは7年ごとに巡ってきたりすると、お祭りが終わっちゃうとその後つらいですね、いやそんなことはなくて7年先6年先5年先・・・、段々近づいてきたっていうふうにして、盛り上がってくる、気持ちが高まってくる、そのプロセスもスゴイ楽しいんですよって・・・、これはね抽象的に言うと単なる息抜きなのではなくて、お祭りに向かって、仮の姿でね、法生活、まあ言葉で語られた法に罰がイヤで従うっていうのをやってるだけってことなんですよね。
さて、それを前提にしていうとね、僕たちのショボいこの現実と呼んでいるもの、現実というか法生活なんですよ。それって本来は仮のものであってね、どうとでもあり得るものなんだ、だから例えばいま日本は民主主義になりました、これはねヘソで茶を沸かすような話なんだけれど、僕から見ても当然宮崎駿爺から見ても何も変わっちゃあいないんですよ。
例えばヒラ目ギョロ目で自分のポジション取りをする、で自分の所属集団でのポジションを上げるためにはすべて無視する、だから公共性はほぼ皆無、子々孫々のことなど考えるはずもないという日本的劣等性、何の変化もないんですよ!何の変化もないわけね。
それに対して、例えば夢の中には夢ってデタラメに見えるけれども、必ず出てくるのが無意識の普遍性なんですよ。無意識の普遍性というのは、子どもの欲望なんですよね。決まりはイヤだ、命令されるのはイヤだ、デタラメがいい、子どものままでいたい、こうしたものが夢には無意識という形で普遍的に刻印されます。だから夢こそどうとでも良いもので、現実こそ動かせないものだ、これはねえ宮崎爺からみれば僕もそう思いますが、逆です。みんなが現実というものを残そう・・・どうとでもあり得る。三島が言うように、日本人は一夜にして天皇主義者から民主主義者に豹変する、それは法があったからなんですよ。でも一夜にして豹変するだらしなさは何も変わらない。イコール空っぽっていうことを表現しましたよね。
そう、現実はむしろ幻で、むしろ夢のデタラメこそ普遍的なんだよね。そのデタラメをね、たまたまこの世界この社会で、皆が現実と呼ぶものに引き寄せて当てはめ、隠喩解釈をすることで、うんわかった!って・・・、そんな理解にどんな意味があるんだバカヤロー!っていうふうにこの映画が訴えていて、なおかつあえて言うとですね宮崎さんって、いま僕が申し上げたことがずーーーっと一貫して変わってないんですよ。
ナウシカだってそうですよね。人類を脅かすように見えた腐海(腐った海)も、汚した土壌を浄化する機能を果たしていて、人を脅かすオウムも腐海の森を守るための守り神なんだよね、っていうことをナウシカが発見する。
あるいは千と千尋の神隠し。これはね、色んな子ども達、うちの子ども達3人含めて、一番好きなのなあに?というとね、だいたい千と千尋の神隠しかポニョを挙げる子が多いんだけど、千と千尋もそうなんだよね。
つまり、法生活を送っていた生きづらい子どもが、ある種妖怪?お化けたちがいるような魔界を経験する、これはある種のワンダーランドであり、今回の映画の下の世界なんだけど、見えないものを見る、見えないものを見ることのワクワクを体験する、あるいは夢のデタラメを体験する、そのことで千尋は成長するんですよね、主人公ですけど。で、この話も全く今回と同じ。で今回も、実はアリス・イン・ワンダーランドと違うところは「成長」というモチーフで、眞人(マヒト)という主人公はデタラメを経験して成長するんですよね。で、その成長っていう意味は単純に世の中は見えるものからは成り立っていない。見えるものだけが現実だと思う者は、簡単にいえば劣等な存在である、ということですよね。
で見えないものが感じられるようになる、見えないものを前提として前に進めるようになることが成長なのだということですよね。
だからそういう意味で言うとね、安全便利で快適な枠組みの中で子どもたちを縛り付けて育てようとする人たちが多いでしょ?危険だ―!とかさ、それはマウンティング(自分が相手より優位に立っていることを示すために、さりげなく自慢話をするなどの行動を指す)だー、ハラスメントだーとかさ全部そうだんですけれども、僕は何度でも言いますよ。
あのね、ホントに危険ってわかるためには危ないことをやんなきゃダメなんですよ。で、ホントに暴力を嫌うためにはね、暴力のある世界に身を投じなければダメなんですよ。で実際に決まりが大切だってことは、決まりを破るという営みの中に身を投じなければダメでね、だから僕は子どもたちにずっと言ってきた。ウソをついてもいいし、叩いてもいいし、決まりを破ってもいいんだよ。
でもやり過ぎはダメだよ。
じゃ、どっからがやりすぎなの?と必ず聞く。
そう、それがわかるようになるのは大人になる、成長するってことだよ。
色んなトラブルを経験して、色々あって、やっぱりウソはいかんなあ、やっぱり暴力はいかんなあ云々かんぬん、となったたときにはじめて人間は色んな問題に対峙(?)することができる。

アリストテレスの言葉を最後に言いますね。
罰せられることが怖くて人を殺さない社会と、殺したくないから人を殺さない社会と、どっちがいい?
もちろん殺したくないから殺さない社会だよね。
つまりそれが、外からの強制、法、縛りではなくて、内側からの力で前に進むということ、そのためにはデタラメを経験しなくてはダメだっていうことなんです。

大竹氏
はーい、とても面白い、いいお話しでした。
どうも有難うございました。


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