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北海道ゆかりの人たち 第六位 中山久蔵(なかやまきゅうぞう)

中山久蔵

公開して三年近く経ちますが、毎年500近くのアクセスがあり現在1,423です。

文政11年(1828年)~大正8年(1919年) 大阪府生まれ。

北海道は道南地区では米が作れましたが、北に行くと「寒すぎるので稲は作れない」という外国人顧問団の提言で屯田兵には畑作を推奨していました。

しかし、札幌近郊島松川の寒冷地で初めて米作りを成功させた人がおりました。中山久蔵は苗代に風呂の湯を流し込んで苗を保温することで生育を促進させました。現在もその水田跡が保存されています。

中山の水田跡

島松の自宅は旧島松駅逓所(のちに国の重要文化財)としても利用され自身は取扱人を務めました。トップの写真が島松駅逓所で北広島市が保存し公開をしているので建物の中に入れます。

1877年(明時10年)4月16日、札幌農学校教頭ウィリアム・S・クラーク博士が、在任約8ヶ月で札幌を去るにあたり札幌農学校から学生や職員に送られて、この中山久蔵宅(駅逓)で食事の後、「Boys be ambitious-少年よ大志を抱け」の言葉を残して、別れを告げて室蘭港に向かいました。

札幌の観光施設羊ヶ丘展望台に有名なクラーク像があるので、Boys be ambitiousを羊ヶ丘で語ったと思っている人が多いようです。

中山久蔵とクラークの碑

駅逓所の向かい側に蕎麦屋がありますが中山久蔵の子孫にあたる方です。


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