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北海道のむかし話5 老人とオジロワシ ー羅臼町ー 

知床半島の一番先の方に、ワシ岩という名前の岩があります。
このあたりに住んでいるオジロワシが、羽を休めている姿に似ていることから伝説が語り継がれています。

昔々のことでした。知床半島の先に、一人の年をとったアイヌが、ぽつんと住んでいました。なんでも、少し前までは、アイヌの酋長として村の人たちから尊敬されてきた人だと、いうことです。
それが、二度も三度も、戦に負けて、家族もちりぢりばらばらになり、自分は、ただぼんやりと足の向くまま歩いているうちに、この知床の先まで来てしまったのだ、ということでした。

この老人は、それから、ここで暮らすことになったのです。
自由で気ままで、誰に遠慮することもない毎日です。海へ行って魚をとり、山へ行って獲物をとる。誰ひとり邪魔をするものはいません。
酋長であった老人は、はじめて自由という空気を、お腹いっぱい吸ったような気がしました。心の中があらわれているような感じです。

ある日、老人は草原の中で、オジロワシの雛を一羽見つけました。
草原に腰をおろして、一休みしている老人の耳に、聞きなれない声が聞えたからです。近寄ると、雛は母鳥と思ったのか、敵と思ったのか、いっそう大きな声で鳴きました。
さらわれる途中落とされたのか、親が落としたのかわかりませんが、老人は、そっと雛を取り上げ、両手で温かく包み込みました。
雛の温かさと老人の手のぬくもりがひとつになって、体の中を温かいものが流れました。これがオジロワシと老人との出会いだったのです。

ひとりぼっちの老人は、夢中になって育てました。夜は、布団の中に入れて、抱いて寝ました。餌も、自分でかんで柔らかくして、雛にやりました。何もかも、一緒です。
「オジロ、オジロ」と、オジロのためなら、何でもしてやりました。オジロは、どんどん成長し、たくましいオジロワシになりました。でも、オジロは、老人のところを飛び去ろうとはしませんでした。

何度目かの冬の事です。知床の冬は、それはもう、厳しいものです。
雪と氷と風と嵐がごっちゃになったような毎日で、その合い間合い間に、よく晴れた美しい日があるのです。この晴れ間の美しさが、老人にとっては、たまらない魅力でした。
それは、久しぶりにお日さまが顔を出したある日のことでした。
知床の山々がくっきりと、いま描いたばかりの絵のようです。

「オジロ、いっちょう、狩りに行ってくるか。今日はいい日だ」

老人とオジロは、心うきうき、出かけたのです。ところが、山へ入って一時間もしないうちに、お日さまは、みるみるあつい雲に包まれ、どこからか、地鳴りのような響きがして、猛烈な吹雪が襲ってきたのです。こんなことは老人にとってもはじめてです。

「オジロ、あぶない、もどろう」

老人は、オジロに声をかけ、もと来た道を引き返しました。
オジロは、老人のところに戻ろうとしましたが、もうそれは無理でした。
猛烈な吹雪に羽をたたかれ、雪の上にたたき落とされ、雪の上を転げていきました。
老人もまた、オジロ、オジロ、と叫びながら、一歩、また一歩、と歩いたのですが、雪と風のうなりの中に足をとられ、倒れてしまったのです。
白い悪魔が、老人の体を抑え込んでなぐりつけ、雪の中へ転がし、こすりつけました。

やがて、吹雪は止み、山々が輝くばかりの美しさで姿を現しました。
そして、お日さまの光が、すべてのものを暖かく包み込みました。
しかし、老人は、二度と、起きてはきませんでした。

ただ、不思議なことに、あのオジロだけが生きていたのです。
雪まみれに転がされて、ハイマツの下にでも、うまく入ったのでしょうか。
オジロは、老人の家を目指して、いっきに飛んでいきました。
もちろん、老人はいません。オジロは、夢中で家の中を突っつき回りました。布団から、着物から、干し草から、コンブやワカメ・・・・・。
老人が、小さくなって、どこかに隠れているような、そんな気がしたのでしょう。いないとわかると、今度は、いっきに山へ飛びました。しかし、見つかりませんでした。

オジロは、家と山とを何度行ったり来たりしたことでしょう。
そして、ある日、ついに老人を見つけました。老人の上に覆いかぶさっていた雪が風で飛ばされ、ほんの少し、老人の着物が顔を出していたのです。
オジロは、喜びの声をあげて老人の上に飛び降り、老人の顔を口ばしでかるくつっつきました。

「目をさましてよ、おじいさん」

何の反応もない老人の体の上で、オジロは、首をかしげました。
オジロは死ということを知りませんでした。
オジロは、今に、老人が起きてくるであろうと、そばの岩に留まって待ちました。

一年、三年、それでも、オジロは待ちました。
十年、百年、千年、オジロは、とうとうそのまま、岩になってしまったのです。


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